怪我をしていた野良犬を助けてくれた恩はずっと忘れないと、彼は毎日バス停まで出かけて行きました。2度と帰って来ない人を待ち続けて。14年もの長い月日を。
フィードは情け深い犬だった
道端の側溝で怪我をして横たわっていた僕を助けてくれたのは、レンガ工房に勤めているカルロでした。ここはイタリア・フェレンツェの北、トスカーナ州のボルゴ・サン・ロレンツォ。そんな僕を家へ連れ帰り、奥さんと一緒に怪我の手当てをしてくれたこと。僕は決して忘れない。
毎朝5時半に職場に出かけるカルロと一緒にバス停に向かい、夕方7時に帰宅する彼を迎えに行くのが僕の日課となりました。時々彼がふざけて、隠れたりするんだけど、僕の鼻が素晴らしいって事忘れちゃったのかな?そんな幸せな日々がずっと続くと思っていたのに。
そうそう僕の名前はフィード。
飼い主カルロが亡くなる
第二次世界大戦のイタリアでの戦いが始まり、彼らの出会いから僅か2年後、1943年の空襲でカルロは帰らぬ人となってしまったのです。その事実をフィードが判るはずもなく、それから14年間も回数にしたら5000回にもわたり、朝晩バス停へと出掛ける彼の姿が人々の目に焼き付いて行きました。
最後の乗客が降りるまでそこを動こうとしない姿が、何ともせつないこの出来事をイタリアの雑誌が取り上げ、アメリカのタイムにまで掲載されたのです。戦争によってあらゆる物を失くした市民にとって彼の行動は、心の隙間を埋めてくれる役割を担ってくれたのでしょう。
1957年、彼の存命中に市長から金メダルを贈呈され、銅像の除幕式にはフィード自ら出席しています。今でも市役所のあるダンテ広場にはカルロを待つフィードの姿を見る事が出来ます。
日本でも忠犬ハチ公は有名なお話ですが、まさしくそのイタリア版が忠犬フィードになりますね。ハチの様に亡くなってから銅像が作成される例はありますが、存命中と言うのは珍しいようです。
17才で亡くなったフィードは、カルロが眠る墓地の脇にある桜の木の下に埋葬されました。永遠に一緒だよとの願いを込めて。