なぜドラえもんの空き地には『土管』が置かれていたのか…今では見られない昭和の象徴

雑学

ドラえもんの公園に土管が置いてある理由は昭和の風景にあった

『ドラえもん』の空き地にはいつも土管が転がっています。これは実は、作者(藤子・F・不二雄)が子ども時代に見ていた1960年代の日本のリアルな街並みを、そのまま作品に描いたためです。

当時はまだ下水道の整備が十分ではありませんでした。そのため各地で下水道の工事が頻繁に行われており、空き地や道路脇には大きな土管が無造作に置かれていたのです。

街の空き地に土管が置かれていたワケ

1960年代の東京は、まだ下水道が十分に普及していませんでした。国土交通省の『下水道年鑑(1965年版)』によれば、この頃の東京区部の下水道普及率は約35%しかありません。こうした状況下で急ピッチに工事が進められ、工事現場の空き地に地中へ埋める前の土管が一時的に置かれていました。

ちなみに私たちが「土管」と呼んでいるものは本来は陶土でできた管ですが、当時空き地に置かれていたのは、実はコンクリート製の「ヒューム管」だったのです。

子どもたちは土管を秘密基地にした

空き地に置かれた土管は、子どもたちにとって格好の遊び場でした。中でも土管の内部をくぐって「秘密基地」にするのが定番の遊びです。

放課後や休日になると近所の子どもたちが自然と集まり、土管の中で漫画を読んだり、お菓子を分け合ったりしていました。当時の子どもたちにとって土管は、秘密の世界に入る扉のような存在だったのです。

ドラえもんの作者が空き地の土管を描いた理由

『ドラえもん』に描かれる土管のある空き地は、作者自身が子ども時代に見て過ごした日常そのものでした。作者にとって、土管は特別な遊び道具ではなく、ごく当たり前に街の中に溶け込んでいた風景の一部だったのです。

その身近な情景を作品に取り入れたことで、読者にリアリティと親しみを与えました。

作者自身が空き地と土管で遊んだ日々

作者は、子どもの頃に実際に土管のある空き地で遊んだ経験を持っています。『ドラえもん公式大全集』(2004年,小学館)のインタビューで、作者自身が「放課後は空き地の土管で友だちと過ごした」と振り返っています。

これは特別な思い出というよりも、作者にとっての日常そのものでした。だからこそ『ドラえもん』の中で描かれる土管は、作られた演出ではなく、作者が実際に見て、触れてきた「ありのまま」の風景だったのです。

土管が友情の舞台装置になった

『ドラえもん』の物語の中で、土管は子どもたちが友情を育む重要な舞台として描かれています。土管の中に隠れたり、上に座ったりして、登場人物たちは自然に会話を交わします。

土管の魅力はその自由さにありました。上に座れば周囲を見渡せて安心感があり、中に隠れれば他人の視線から逃れられる心地よさがありました。こうした「自由な余白」こそが、子ども同士の友情や心の交流を育んでいたのです。

今ではこうした土管が置かれている公園はほとんど見かけなくなりましたが、作品の中では変わらず大切な場所として存在し続けています。

まとめ

『ドラえもん』に描かれた空き地の土管は、昭和という時代の日常を象徴するリアルな風景でした。当時の街には下水道工事の影響で土管が当たり前のように置かれ、子どもたちはそれを秘密基地にして遊んでいました。

作者自身の子ども時代の日常を投影したからこそ、『ドラえもん』の空き地は世代を超えて共感され、親しまれているのでしょう。時代の流れで街角の土管は消えてしまいましたが、漫画の世界ではいつまでも生き続けています。

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