目から鱗が落ちる
私たちが日常的に使う「目から鱗が落ちる」という表現。何かに気づいた瞬間や、思い込みが覆されたときによく使われますよね。でも、よく考えてみると「なぜ鱗?」と疑問に思ったことはありませんか?実はこの不思議な言い回し、意外なことにキリスト教がルーツだったのです。
「目から鱗が落ちる」とは
「目から鱗が落ちる」とは、それまで気づけなかったことが、あるきっかけで一気に理解できるようになる様子を表す表現。まるで視界を遮っていたものが取り払われて、はじめて物事の本質が見えてくるようなイメージです。自分の中で価値観や考え方がガラッと変わる瞬間にも使われます。似た意味の言葉には、「腑に落ちる」「開眼する」などがあります。
たとえば誰かに説明を受けて今までの疑問が一気に解消されたときや、新しいアイデアに触れて見方が一変したときなどにぴったりな言葉といえます。
目から鱗の由来
「目から鱗が落ちる」という言葉、実はそのルーツは1世紀のローマ時代、キリスト教の聖書にあるエピソードにあります。
物語の主人公はサウロという人物。彼は元々キリスト教に反対する立場で、信者たちを迫害していた熱心なユダヤ教徒でした。そんなサウロはある日、キリスト教徒を追ってダマスコへ向かう道中、突如としてまばゆい光に包まれます。そしてその光の中で、「なぜ私を迫害するのか?」というキリストの声を耳にします。直後にサウロは視力を失ってしまったそうです。
数日後、キリストの導きでサウロのもとを訪れた信者・アナニアが祈りを捧げると、サウロの目から“鱗のようなもの”が落ち、視力が回復したのだとか。この出来事が『新約聖書』に記されており、「目から鱗が落ちる」という表現の語源になったといわれています。
ちなみに、この体験をきっかけに、サウロはキリスト教へと改宗。名をパウロに変えて布教活動に人生を捧げたそうです。
ただ、どうしてサウロの目から落ちたのが「鱗」だったのか、いったい何の鱗だったのかは定かではありません。正確には「鱗のようなもの」と伝わっているので、本当は鱗ではない可能性もあります。
分かっているのは、かつてキリストを迫害する立場であったサウロが奇跡的な体験を経て、いままでの価値観を大きく変えたことに由来しているということ。もしかすると、目から落ちた鱗のようなものは、サウロの凝り固まった価値観みたいなものだったのかもしれませんね。