参勤交代とは
参勤交代とは、江戸時代1635年に第三代将軍徳川家光によって制定された大名たちの忠誠心を確かめるための制度。武家諸法度(大名たちの勢力拡大を防ぎ、幕府が安定した政治を行うための法律)のひとつです。この制度により大名たちは1年おきに江戸滞在と領地帰還することを義務付けられました。
参勤交代では、大名の妻子を江戸に常駐させることも定められていたそうです。これは実質的な人質だったとされており、江戸幕府への忠誠心を示す意味合いがあったそうです。
また、参勤交代にはとてもたくさんのお金がかかっていたとされています。結果論だったとはいわれていますが、参勤交代は大名たちの財力を削り反乱を防ぐ効果もあったそうです。
参勤交代にかかるお金
前述の通り参勤交代には、かなりのお金がかかっていたそうです。参勤交代の際、大名たちは江戸と領地の行き来に伴う、滞在費用や移動中の宿泊費、従者の食費や給料など、あらゆる経費を負担しなければなりませんでした。
加えて大名たちは数百~数千人規模の家来を連れて移動していました。単純に従者の人数が多いだけでも、その費用は計り知れません。さらに、江戸幕府に訪れた際には、領地の名物「贈答品」も必要とされていたとのこと。こうした諸経費が大名・領地の経済的な負担となり、財政を圧迫する大きな原因だったそうです。
それでは、その金額はいくらだったのか?一説によると、参勤交代にかかった1日の費用はおよそ1,000万円。片道だけでおよそ4~5億円かかっていたそうです。行きだけでこれだけかかるのですから、往復だと2倍の8~10億円前後かかっていたことでしょう。現在社会の規模で考えると、恐ろしい金額ですね。
大名たちは参勤交代を断れなかった
江戸時代における参勤交代は大名たちの義務。大名たちは経済的に苦しくとも、参勤交代を拒否できませんでした。もし参勤交代を怠れば、幕府からの処罰や罰則が免れなかったことでしょう。最悪の場合、反逆を疑われる恐れや人質の身が危ぶまれるため、断ることは事実上不可能でした。
どれだけお金がかかって財政を圧迫しようとも、大名たちは参勤交代せざる得なかったのです。
江戸時代の大名たちも苦労人だった
参勤交代は、大名にとって大きな負担となり財政を圧迫させていました。江戸時代の大名たちは領地の権力者でありながら、多くの悩みを抱えた苦労人でもあったのです。今回の記事を参考に、参勤交代についてより詳しく調べてみてはいかがでしょうか。