バナナの叩き売りって何?不思議な光景の正体に迫る
「高いよ高いよ、なんの値が高い?門司の港に太陽が昇る~♪」
昭和の香り漂う独特な歌声が響きます。これが門司港の伝統芸「バナナの叩き売り」の始まりを告げる「バナちゃん節」です。最初は高めの値段を提示し、だんだんと値下げしていく独特な商法で、観客の笑いを誘いながらバナナを売る―。一見すると不思議なこの光景、実は120年以上の歴史を持つ日本の伝統芸なのです。
現在では観光スポットとして人気の門司港レトロ地区。その賑やかな通りで、時折聞こえてくる威勢の良い掛け声。それが「バナナの叩き売り」です。普通の八百屋さんとは一味違う、まるで寄席(※1)のような雰囲気の中で繰り広げられる即興劇のような商売。実は、ここにはバナナと日本人の意外な関係が隠されていたのです。
※1:寄席とは、落語や漫才などの伝統的な演芸を上演する専門の劇場のこと。
門司港がバナナの叩き売りの発祥地となった理由
今では私たちの生活に当たり前のように存在するバナナ。でも、明治時代の日本人にとって、バナナは高級な輸入果物でした。1903年(明治36年)、当時日本の領土だった台湾から初めて大量のバナナが輸入されることになります。
その寄港地として選ばれたのが、門司港でした。なぜ門司港だったのか?それには明確な理由があります。台湾の基隆(キールン)から船で運ぶ場合、門司港までは3日、さらに神戸港まで行くには1日余分にかかりました。傷みやすいバナナにとって、この1日の差は致命的。自然と門司港が日本におけるバナナの玄関口として栄えることになったのです。
全盛期には年間600万人もの人が利用する「不夜城」と呼ばれるほどの賑わいを見せた門司港。桟橋通りには60軒もの露店が並び、活気に満ちあふれていました。しかし、ここで一つ問題が発生します。それは「籠熟(かごうれ)バナナ」(※2)の存在でした。
この「籠熟バナナ」を前に、当時の商人たちは知恵を絞りました。通常のバナナは完熟前の青いうちに運び、問屋の地下室(「室(むろ)」と呼ばれる場所)で熟成させて各地へ出荷していました。しかし、船内で熟しすぎたバナナは商品価値が大きく下がってしまいます。かといって捨てるには余りにもったいない。
そこで生まれたのが「バナナの叩き売り」という独特の販売方法でした。当時の露天商たちは、早く売りさばく必要があるバナナを、面白おかしい口上で客を引き寄せながら販売することを思いつきます。1913年(大正2年)頃には、夜店でバナナ100匁(もんめ ※3)が1-5銭という破格の値段で売られていたそうです。
※2:籠熟(かごうれ)バナナとは、輸送中の船内で予定より早く熟れてしまったバナナのこと。当時は保存技術が未発達だったため、早急に売りさばく必要がありました。
※3:100匁(もんめ)は現在の単位で約375グラムに相当します。
威勢の良い掛け声の奥に隠された知恵と工夫
「色は黒いが浅草のりは白いご飯の上に乗る。一皮むけば卵の白身」
これは、当時から伝わる口上の一つです。見た目は少し黒ずんでいても、中身は変わらず美味しいことを、庶民に馴染みのある食材に例えて面白く表現しています。
実は、バナナの叩き売りには二つの大きな特徴があります。一つは、高い値段から徐々に値を下げていく「ダッチ・オークション」(※4)方式。もう一つは、必ず二人一組で行うということ。一人が口上を述べる傍らで、もう一人が「まだ高い!」「もっと負けて!」と掛け合いの相手役となり、その掛け合いが絶妙な笑いを生んでいました。
※4:ダッチ・オークションとは、最初に高値をつけ、買い手が現れるまで徐々に値下げしていく競売方式のこと。オランダで考案されたことからこの名が付きました。
「買うた!」の一言で会場が沸く!叩き売りの醍醐味を体験
「テンション高めに、腰は低めに!」
これは現代のバナナの叩き売りでよく聞かれる口上の一つです。古くからの伝統を守りながらも、時代に合わせて進化を続けている証でしょう。実は、バナナの叩き売りには決まった台本がありません。その場の雰囲気や観客の反応を見ながら、即興で繰り出される言葉の数々。まさに大衆芸能の真髄と言えます。
「バナナが喜ぶ三種の神器があります」
「なんですか?」と客が興味津々で聞き返すと
「握手、拍手、キャッシュ!」
このような軽妙な掛け合いに、会場からは大きな笑い声が。実演販売でありながら、まるで寄席で演芸を楽しんでいるような雰囲気が生まれます。
実は、この「お客さんを楽しませる」という要素は、バナナの叩き売りの重要な特徴なのです。ベテラン実演者の一人は「100%の正解はない。その時、その場所でしか味わえない空気感を大切にしている」と語ります。まさに、ライブエンターテインメントと言えるでしょう。
戦後の衰退から復活へ!受け継がれる伝統の力
しかし、このバナナの叩き売りにも暗い時代がありました。1941年、戦争の激化により台湾からのバナナ輸入が途絶えてしまったのです。さらに戦後は物流の発達により、「港での売り切り」の必要性も薄れていきました。
ところが1963年、ある出来事をきっかけに状況が変わります。当時、門司港区で公民館長を務めていた井川忠義さんが「門司港バナナの叩き売り保存会」を設立。自らが録音したレコード『門司港バナナの叩き売り』を発売したのです。
この取り組みは地域の人々の心を動かしました。1976年には露店が再開され、1978年には門司港駅前に「バナナの叩き売り発祥の地」の記念碑が建立。さらに「門司港バナナの叩き売り連合会」が発足し、7つの保存団体が伝統の継承に取り組むことになります。
「バナナ塾」(※5)という後継者育成の場も設けられ、毎年10〜20人の修了生を送り出しています。興味深いのは、ここでは単なる技術の習得だけでなく、バナナの歴史や知識まで学ぶという点。「叩き売り」という商売の形を超えて、一つの文化として確立されているのです。
※5:バナナ塾とは、バナナの叩き売りの技術や歴史を学ぶための育成プログラム。門司区役所との共催で運営されています。
新時代を迎えたバナナの叩き売り!進化し続ける伝統芸
2017年4月、バナナの叩き売りは「関門”ノスタルジック”海峡」の構成文化財の一つとして、ついに日本遺産に認定されます。かつての「早く売りさばくための手段」から、れっきとした伝統文化へと昇華を遂げたのです。
現在、門司港レトロ地区では毎週土・日曜(第5週を除く)の13時から、誰でも気軽にバナナの叩き売りを体験することができます。特筆すべきは、7つの団体それぞれが独自の個性を持っているという点。古典的な「バナちゃん節」から、現代の流行を取り入れた口上まで、バラエティに富んだパフォーマンスが楽しめます。
例えば、あるグループは「AKBBを同行しています。あ(A)かるい、か(K)わいい、バ(B)ナナ、バ(B)バアに歌ってもらいます」と、熟れたバナナを見せながら現代風にアレンジした口上で観客を沸かせています。
門司港で楽しむ!バナナにまつわる街歩きスポット
バナナの叩き売りの世界をもっと深く知りたくなったら、門司港には見逃せないスポットがいくつもあります。
関門海峡ミュージアム内にある「門司港バナナ資料室」では、昭和期のレトロなポスターや、当時の口上を収録したレコードなど、貴重な資料の数々を見ることができます。バナナの妖精「バナナ姫ルナ」の等身大パネルや、叩き売り体験コーナーもあり、歴史を楽しく学べる工夫が施されています。
また、港ハウス前には2022年4月に誕生した「幸せの黄色いバナナのポスト」が。通常のポストと同じように手紙を投函できる、フォトジェニックなスポットとして人気を集めています。
伝統と現代が織りなす門司港の街並みの中で、バナナの叩き売りは今も進化を続けています。「私たちもお客様と一緒になって楽しむ」という精神は、120年前から変わることなく受け継がれているのです。
あなたも週末、門司港を訪れてみませんか?威勢の良い掛け声と笑い声が響く中で、歴史の一端に触れることができるはずです。そして、この面白い文化の話を、ぜひ友人や家族にも教えてあげてください。きっと「へぇ、バナナの叩き売りってそんな歴史があったんだ!」と、新しい発見を共有する楽しい会話が生まれることでしょう。
項目 | 内容 |
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発祥地 | 福岡県門司港(現:北九州市門司区) |
始まった時期 | 1903年(明治36年)頃 |
発祥の理由 | 輸送中に熟れすぎたバナナ(籠熟バナナ)を早急に売りさばく必要があった |
公演時間 | 毎週土・日曜(第5週除く)13時〜 |
実施場所 | 門司港レトロ地区(門司港レトロ物産館港ハウス前など) |
項目 | 内容 |
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販売方式 | ダッチ・オークション方式(高い値段から徐々に下げていく) |
実演形態 | 二人一組(口上を述べる人と掛け合いをする人) |
伝統的な要素 | 「バナちゃん節」などの決まった歌や口上 |
現代的な要素 | 流行やトレンドを取り入れたアレンジ口上 |
施設名 | 特徴 |
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門司港バナナ資料室 | 関門海峡ミュージアム内にある歴史資料館。レトロなポスターやレコードを展示 |
バナナの叩き売り発祥の地碑 | JR門司港駅前(旧門司三井倶楽部側)に建立 |
幸せの黄色いバナナのポスト | 2022年4月設置。実際に手紙を投函可能なフォトスポット |
項目 | 内容 |
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主な組織 | 門司港バナナの叩き売り連合会(7団体で構成) |
後継者育成 | 「バナナ塾」を毎年開講(年間10〜20人が修了) |
文化的価値 | 2017年4月に日本遺産(関門”ノスタルジック”海峡)の構成文化財として認定 |