「このビール、泡ばかりじゃないか!」昭和の時代から続く身近な不満
誰しも一度は経験したことがあるのではないでしょうか。居酒屋やビアホールで注文した生ビールを見て「泡が多すぎる…」とガッカリした経験。実はこの不満、80年以上前から変わっていなかったのです。
1940年(昭和15年)、東京・上野のビアホールで起きた出来事。客の「このビール、泡が多すぎるじゃないか!」という一言から、思わぬ大騒動が巻き起こりました。当時の経済警察がこの苦情に着目し、上野、京橋、日本橋、浅草の主なビアホールの帳簿を徹底調査することに。すると、驚くべき事実が浮かび上がってきたのです。
調査の結果、500mlのジョッキに実際には420mlしかビールが入っていないケースや、同じ店で複数の大きさの違うジョッキを使い分けているといった実態が次々と明らかになりました。さらに、ビールの仕入れ量と販売量を照合すると、大きな差があることも判明。この差は、まさに「泡」の部分だったのです。
経済警察も動いた!戦時中の「泡裁判」の驚きの展開
当時は物価統制令(※1)により、ビールの価格は1リットルあたり最高80銭と定められていました。経済警察は、ビアホールが「泡」をビールとしてカウントすることで不当な利益を得ているのではないかと考え、1940年に大規模な摘発に踏み切ります。
この問題は、東京市の権度課(※2)でも重要視され、警視庁、東京府、そして大日本麦酒(現サッポロビールとアサヒビール)やキリンビールなどの業界関係者を交えた協議の場が設けられました。議論の的は「泡はビールと認められるのか」という一点。
激論の末、一旦は「泡はビールではない」という当局の判断が下されることになります。
※1:物価統制令:戦時中の物価高騰を防ぐため、商品の価格を政府が規制した法令
※2:権度課:現在の計量検査所にあたる機関。商品の量り売りなどを監督していた
東大教授の「意外な鑑定結果」が事態を大きく動かした
しかし、事態は思わぬ方向へ。日本醸造学会の第一人者である東京大学の坂口謹一郎博士が鑑定を任されたのです。坂口博士は、誰もが予想もしなかった画期的な鑑定結果を提示しました。
なんと、ビールの泡を液体の状態に戻して分析したところ、以下の驚くべき事実が判明したのです。
- 泡の部分は液体部分よりもアルコール濃度が高い
- 泡には液体より多くの糖分や蛋白質が含まれている
- 泡にはビールの重要な風味成分が凝縮されている
さらに坂口博士は「泡のないビールなどこの世に存在しない」「泡こそビールの生命」という衝撃的な証言も行いました。ビールを知り尽くした専門家による、誰もが予想しなかった鑑定結果だったのです。
「ビールの泡」を科学する!知られざる魅力と役割
坂口博士の鑑定結果は、当時の常識を覆すものでした。現代でも、ビールの泡には実に様々な役割があることがわかっています。
まず、泡には「香りのガードマン」としての重要な役目があります。ビールの命ともいえる華やかな香り成分(※3)を閉じ込め、炭酸ガスが急激に抜けるのを防いでくれるのです。さらに、ビールに含まれる雑味や過度な苦みの成分も泡が吸着してくれるため、まろやかな味わいを楽しむことができます。
現在、多くのビールメーカーが推奨している「黄金比率」は、ビール7:泡3。この比率で注がれたビールは見た目も美しく、香りと味わいのバランスも絶妙だとされています。
※3:香り成分:エステル類やホップ由来の成分など。これらがビール特有の華やかな香りを作り出す
世界のビール泡事情!国によって違う「理想の泡」
実は、ビールの泡に対する考え方は国によって大きく異なります。例えばドイツでは、泡の量は15%~30%と定められており、この範囲を超えると品質に問題ありとされます。
一方、イギリスでは興味深い歴史があります。かつて「泡の量」をめぐる裁判が起き、その結果「ビールの泡を売ってはいけない」という判決が出されたのです。そのため、イギリスのパブではグラスいっぱいまでビールを注ぐ文化が定着しました。
日本では1940年の「泡裁判」以降、ビールの定量販売に関する基準が明確化されました。現在では、1リットル、500ミリリットル、250ミリリットルという3種類の規格が定着しています。
泡の価値を知ると、ビールがもっと楽しくなる!
「泡裁判」から80年以上が経った今、私たちは改めてビールの泡の価値を見直すべき時期に来ているのかもしれません。実は、泡には面白い特徴がたくさん隠されているのです。
例えば、良質な泡は「クリーミーな泡」「きめ細かな泡」「持続性のある泡」という3つの特徴を持っています。これは、ビールの品質の高さを示すバロメーターとも言えます。ビールの専門家たちは、以下のようなポイントにも注目しています。
- きめの細かい泡は、原料の麦芽が良質であることを示している
- 泡の持続時間が長いほど、ビールの鮮度が高い
- 泡の色合いは、ビールの種類によって微妙に異なる
ビアホールや居酒屋で「泡が多い」と感じたとき、実はそこには昭和の時代から続く品質へのこだわりが隠されているのかもしれません。坂口博士が「泡こそビールの生命」と語ったように、泡はビールの魅力を引き立てる重要な要素なのです。
次回、友人と飲み会で「泡が多いなぁ」という話題が出たら、この「泡裁判」の話を披露してみてはいかがでしょうか。きっと、いつもと違った視点でビールを楽しめるはずです。実は泡の部分の方がアルコール度数が高いなんて、パーティーでの話のネタにもピッタリですよね。
そして最後に、ビールと泡に関する興味深い豆知識を一つ。ビールの泡は、注ぐ角度を変えるだけで印象が大きく変わります。グラスを傾けて注ぐと泡は少なめに、真っ直ぐに注ぐと泡は多めになります。この使い分けも、その日の気分や好みに合わせて楽しんでみてはいかがでしょうか。
結局のところ、「良い泡」は美味しいビールの証。昭和の時代、法廷で争われたこの泡の価値は、現代に至るまでビールの魅力として認められ続けているのです。
項目 | 内容 |
---|---|
発生時期 | 1940年(昭和15年) |
発端 | 上野のビアホールでの客の苦情「泡が多すぎる」 |
問題点 | ・500mlジョッキに420mlしか入っていない ・仕入れ量と販売量の差異 ・価格設定(1リットルあたり80銭)との関係 |
鑑定結果 | ・泡の方がアルコール濃度が高い ・泡には液体より多くの糖分や蛋白質を含む ・「泡こそビールの生命」と認定 |
判決の影響 | ・泡もビールの一部として認定 ・販売量の規格化(1L、500ml、250ml) ・定量販売の基準確立 |
分類 | 詳細 |
---|---|
理想的な比率 | ・ビール7:泡3(現代の黄金比率) ・ドイツ:泡15%~30% ・イギリス:泡なしが基準 |
泡の役割 | ・香り成分の保持 ・炭酸ガスの急激な放出を防止 ・雑味や過度な苦みの吸着 |
良質な泡の特徴 | ・クリーミーな質感 ・きめ細かさ ・持続性の高さ |
品質指標としての泡 | ・きめ細かさ:原料の質を反映 ・持続時間:鮮度の指標 ・色合い:ビールの種類による特徴 |