『世界結核デー』って何の日?
毎年3月24日は「世界結核デー」です。これは、世界保健機関(WHO)が1997年に制定した記念日です。
結核という病気は、かつて世界中で多くの人々が苦しんでいました。その病原体である「結核菌」が発見されたのが1882年の3月24日でした。この菌を見つけたのは、ドイツの細菌学者ロベルト・コッホ博士です。コッホ博士が結核菌を発見したことにより、結核の治療や予防法の研究が一気に進みました。
その偉大な発見の日を記念し、結核という病気を世界中の人々に正しく知ってもらい、感染の拡大を防ぐためにWHOが作ったのが、この世界結核デーというわけです。
世界各国では、この日に合わせて様々なイベントが行われています。たとえば南アフリカでは、結核患者や治療に携わる医療スタッフを支援するためのチャリティマラソンが開催されています。またインドでは、人気の映画俳優やスポーツ選手がメディアを通じて結核予防を呼びかけるキャンペーンも行われます。
どの国の活動にも共通しているのは、「結核のことを正しく知ってもらい、病気を防ごう」という強いメッセージです。日本ではあまり注目されませんが、世界結核デーは今なお世界各地で大切な意味を持つ記念日なのです。
昔は「おしゃれな病気」と呼ばれた結核の歴史
結核という病気には、かつて「おしゃれな病気」という奇妙な呼び方がありました。病気がおしゃれなんてちょっと不思議ですよね。でも、その裏には、当時の社会の特殊なイメージがあったんです。
文学を彩った結核
昭和の日本文学を代表する小説のひとつに、『風立ちぬ』という作品があります。これは、作者が結核を患った婚約者とサナトリウム(療養所)で過ごした体験をもとに書いたものでした。
実は、結核にかかった人は顔が青白くなり、痩せて繊細な印象になることから、当時の文学や芸術の世界では「美しく儚げな人」というイメージで描かれたのです。もちろん、実際には深刻な病気なのですが、そんな外見の儚さや悲劇的なイメージが「おしゃれ」として美化されていったのでしょう。
今とはずいぶん違う価値観ですが、それだけ結核が人々の暮らしに深く入り込んでいた証拠かもしれません。
サナトリウムでの意外な日常
結核患者が療養する「サナトリウム」が日本で初めて建てられたのは、1887年のことです。場所は、今では観光地としても知られる鎌倉の由比ヶ浜。当時はまだ有効な治療法がなく、新鮮な空気の中での休養が何より大切と考えられていました。
特に有名なのは、長野県の富士見高原療養所です。ここには『風立ちぬ』の作者をはじめ、横溝正史など、多くの有名作家や文化人が療養のため訪れました。自然豊かな場所で、患者同士が交流しながら静かな日常を送っていたのです。
当時の患者の手記には、「病気は苦しいけれど、ここで過ごす時間は特別だった」と振り返る声も多くありました。厳しい療養生活のなかにも、独特の温かさや文化的な交流があったのです。
実は結核菌はとてもタフだった!
結核菌は、見た目こそ目に見えない小さな細菌ですが、驚くほどのタフさを持っています。
例えば、空気中に漂った菌は、咳やくしゃみをすることで、意外にも遠くまで飛んでしまいます。専門家によると、くしゃみ一回で飛び散る細菌は、なんと2メートル以上も届くことがあるそうです。2メートルというと、人が手を伸ばしても届かない距離。想像すると、菌の広がりの凄さがわかりますよね。
また、結核菌がタフだと言われるもう一つの理由は、その生命力の強さです。普通の細菌なら短時間で死んでしまうような乾燥した環境でも、結核菌は数週間から数ヶ月間も生き続けることがあります。まるで砂漠で生き残るサボテンのような強さです。
このように、結核菌は予想以上にしぶとく、私たちの身近な環境で密かに生き続けているのです。
結核は今の日本でも意外に多い
結核というと、多くの人が「昔の病気でしょ?」と思いがちです。しかし、日本では今も毎年約1万人もの新たな感染者がいるのをご存じでしょうか。(出典:厚生労働省)
たとえば、ある学校で結核患者が出たとしましょう。すると、その周囲の人々にも感染の恐れがあるとして、検査や追跡調査が行われることになります。職場でも同様で、知らないうちに結核菌を持っていた人から、同僚が感染してしまった例も報告されています。
結核は決して過去のものではなく、現代の日本でも身近に存在する病気なのです。「自分には関係ない」と思わず、しっかり関心を持つことが大切ですね。
意外と知られていない結核の雑学
日本に住む多くの人は、小学生の頃に「ツベルクリン反応」という検査を受けたことがあるでしょう。実はこの「ツベルクリン反応」、世界的にはあまり行われていない日本特有の検査なんです。
この検査では、腕に小さな注射を打ち、赤く腫れるかどうかで結核菌への免疫反応を確認します。海外では、結核ワクチン接種や別の検査方法が主流で、こうした反応を見る方法は日本独自のものとして知られています。なんだか意外ですよね。
また、日本では昔、「結核」という病気は「労咳(ろうがい)」と呼ばれていました。「労」は身体が弱る、「咳」はせきを意味しています。つまり、「長く続く咳で身体が弱ってしまう病気」という意味です。古い小説や映画には、今でも「労咳」という言葉がよく登場しますので、機会があれば探してみてください。
今日学んだ結核の話をぜひ誰かに教えてみて
普段、あまり気に留めることがない「結核」について、今日はさまざまなことを学びましたね。こうして得た知識は、自分だけに留めず、家族や身近な友人とも共有してみてください。
意外な雑学や病気の正しい知識を人に話すことで、周りの人の健康意識も自然に高まります。「そういえば、結核って今でも意外と多いんだよ」と、ちょっとした会話のきっかけを作ってみるのもおすすめです。