昔のオリンピックでは、芸術家もメダリストになれた

現在のオリンピックでメダルを手にするのは、競技場やプール、体育館で結果を残したアスリートです。しかし、20世紀前半のオリンピックには、芸術家が作品でメダルを競う「芸術競技」がありました。
これは記念展示のような扱いではなく、審査によって順位が決まり、優れた作品には金・銀・銅メダルが授与される正式な競技でした。
つまり、当時は画家、作曲家、建築家、作家、彫刻家も、オリンピックメダリストになる可能性があったのです。今の感覚では少し不思議に聞こえますが、芸術競技は当時のオリンピックを語るうえで欠かせない一面でした。
芸術家も表彰台に立つ可能性があったと考えると、オリンピックの歴史は少し違って見えてきます。
競われたのは建築・文学・音楽・絵画・彫刻だった

芸術競技で扱われた主な分野は、建築、文学、音楽、絵画、彫刻の5部門でした。
いずれも芸術として独立した分野ですが、オリンピックではスポーツに関係する作品であることが求められました。単に美しい作品を出せばよいのではなく、スポーツの動きや精神、競技の場、身体の表現などと結びついている必要があったのです。
たとえば建築部門では、スタジアムや競技場、プールなどのスポーツ施設が評価対象になりました。文学ではスポーツを題材にした詩や戯曲、音楽では競技や祭典を思わせる楽曲が出品されました。
オリンピックで建築や音楽にメダルが与えられていたと聞くと意外ですが、当時はスポーツを別の表現で描くことも、オリンピックの一部と考えられていたのです。
1912年、芸術競技はストックホルム大会で始まった

芸術競技が初めて実施されたのは、1912年のストックホルム大会です。
最初の芸術競技には33名が参加しました。現在のオリンピックの規模から考えると小さな始まりですが、ここから芸術家がオリンピックでメダルを競う時代が始まります。スポーツ競技とは違う形で、芸術家たちも大会に関わるようになったのです。
ただし、芸術競技ではスポーツ競技のように必ずメダルが出るとは限りませんでした。審査員が作品の水準に達していないと判断した場合、該当者なしになることもありました。
順位を決めるだけでなく、作品そのものの質を問う仕組みだったためです。この点は、芸術をオリンピック競技にする面白さであると同時に、後に制度の難しさとしても表れていきます。
クーベルタンの理想が、芸術競技を生んだ

芸術競技が導入された背景には、近代オリンピックの創始者ピエール・ド・クーベルタンの考えがありました。
クーベルタンは、オリンピックを単なる運動能力の競争にとどめようとはしていませんでした。身体を鍛えるスポーツと、精神や感性を表す芸術を結びつけることで、人間の力をより広く称える祭典にしたいと考えていたのです。
興味深いことに、クーベルタン自身も1912年ストックホルム大会の文学部門で金メダルを獲得しています。彼は筆名を使って作品を出品し、その作品が評価されました。
創設者自らが芸術競技に参加してメダルを得たことは、芸術競技が当時のオリンピック理念の中心に近い場所にあったことを示しています。
1920年代には芸術競技が大きく広がった

芸術競技は、始まってすぐに大規模な人気を得たわけではありません。
しかし1920年代に入ると、参加者や出品作品が増え、オリンピックの文化的な側面を示す存在として広がっていきました。
1924年のパリ大会では参加者が大きく増え、芸術の都で行われるオリンピックらしく、芸術競技も存在感を強めていきます。
1928年のアムステルダム大会では、さらに多くの作品が展示されました。競技でありながら、大規模な美術展のような性格も持つようになったのです。
スポーツ競技を観戦する人が、同じ大会の中で絵画や彫刻、建築案にも触れる。芸術競技は、競技でありながら大規模な展示の性格も持つようになっていきました。
日本人も芸術競技でオリンピックメダルを獲得していた

芸術競技は、海外の芸術家だけの話ではありません。1936年ベルリン大会では、日本人画家の藤田隆治と鈴木朱雀が芸術競技で銅メダルを獲得しています。
藤田隆治は絵画部門で『アイスホッケー』を、鈴木朱雀は水彩の部門で『古典的競馬』を出品しました。オリンピックの日本人メダリストというと、スポーツ選手を思い浮かべる人が多いはずです。
しかし、オリンピック史を少し違う角度から見ると、芸術の分野でも日本人が表彰台に立っていたことがわかります。この事実は、日本とオリンピックの関わりを考えるうえでも興味深いポイントです。
競技場での記録だけでなく、絵画としてスポーツを表現した作品にもメダルが与えられていた。そう考えると、オリンピックの歴史は思っている以上に幅広いものに見えてきます。
芸術競技はなぜ正式競技から外れたのか

芸術競技は1948年ロンドン大会まで続きましたが、その後は正式競技として行われなくなりました。理由はひとつではありません。
大きな課題のひとつは、芸術作品の優劣を公平に判定する難しさでした。
スポーツ競技ならタイム、距離、得点、勝敗などで結果を示せる場面が多くありますが、芸術作品の価値は単純な数字に置き換えにくいものです。
また、当時のオリンピックが重視していたアマチュア主義との矛盾もありました。
芸術競技に参加する画家、作曲家、建築家、作家の多くは、創作を仕事にしている職業芸術家でした。さらに、作品の輸送や展示、保管、審査にも手間と費用がかかります。
理想としては魅力的でも、制度として続けるには難しい面が多かったのです。
芸術競技は形を変えて現在のオリンピックにも残っている

芸術競技は正式競技ではなくなりましたが、オリンピックと芸術の関係が完全に途切れたわけではありません。
1948年ロンドン大会を最後に、芸術競技はメダルを授与する競争ではなく、芸術展示や文化プログラムへと形を変えていきました。
順位をつけるのではなく、開催国や参加国の文化を紹介する方向に役割が移っていったのです。
現在のオリンピックでも、開会式や閉会式、公式ポスター、文化プログラムなどを通じて、芸術や文化は大会の一部になっています。かつてのように文学や音楽にメダルが授与されることはありません。
芸術競技の歴史を知ると、オリンピックは身体と創造性が交わる祭典でもあったことが見えてきます。


