安全第一には続きがある
みなさんはお仕事や作業を「安全第一」で行っていますか?工場などでよく見かける、こちらのスローガン。現場仕事ではない方にとっても馴染み深い言葉ですよね。実は、この「安全第一」には第二、第三と続く言葉があったのです。ご存じでしたか?
今回は「安全第一」に関する面白い雑学をお届け。最後までお読みいただくと、ちょっと物知りになった気分を味わえますよ。
安全第一「品質第二」「生産第三」
結論として、安全第一の後に続くのは「品質第二」「生産第三」。安全を確保した後は、商品・サービスの品質を意識し、最後に生産性を重視しようという考え方です。
「安全第一」という考え方が生まれたのは1900年代初頭のアメリカ。当時のアメリカは第2次産業革命の真っ只中。産業の急成長に伴い工場では安全性よりも生産性の方が重視されていました。そのため、スローガンも「安全第一」ではなく。『生産第一、品質第二、安全第三』が掲げられていました。
しかし、この考え方の弊害で労働環境は劣悪を極めていたそうです。労働災害は日常茶飯事。悲しいことに多くの労働者が命を落としていたそうです。
こうした状況を問題視したのが、世界的製鉄会社USスチールの社長、「エルバート・ヘンリー・ゲーリー」です。キリスト教徒でもあったエルバート・ヘンリー・ゲーリーは労働者の命を軽視する現状を良しとせず、1906年にスローガンを「生産第一、品質第二、安全第三」から『安全第一、品質第二、生産第三』に変更。これが『安全第一』が生まれた由来です。
この方針転換により、労働災害が大幅に減少。結果的に作業効率や生産性も向上したそうです。この変化をきっかけに「安全第一」という考え方は他の工場や産業にも広がり、やがて世界中に浸透していったといわれています。
安全第一が日本に伝わったのは大正時代
日本に「安全第一」という考えが伝わったのは1912年(大正元年)。「安全第一」の考えを日本に紹介したのは、古河鉱業足尾鉱業所の所長「小田川全之(おだがわまさゆき)」氏とされています。
それまでの日本では「安全第一」という概念がなかったため、労働環境はあまりいいものではありませんでした。しかし、小田川氏が持ち込んだ「安全第一」の導入により労働災害は徐々に減少。現在の日本における現場仕事の安全確保の基盤を構築することに繋がりました。
今回の雑学をきっかけに「安全第一」を意識しよう!
今回の雑学を振り返ってみましょう。安全第一は元々「生産第一、品質第二、安全第三」でしたが、労働環境の悪化を憂いた製鉄会社の社長エルバート・ヘンリー・ゲーリーが「安全を第一」にすることで状況は変化。少しずつ世界的に安全を優先する考え方にシフトしていったそうです。
今回の雑学をきっかけに、みなさんも働くとき安全確保を第一に考えて作業してみてください。
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