『井の中の蛙は大海を知らず』の続きは日本で作られた
「井の中の蛙は大海を知らず」という言葉はよく耳にしますが、実は続きがあることをご存じでしょうか。
実際のところ、もともとの中国の原典にはこの「続き」は存在していません。後になって日本で新たに付け足されたものなのです。
この言葉のルーツは中国の古典にありますが、その後半部分、「されど空の青さを知る」は、日本人によって後から考えられました。
中国の原典には続きがなかった
そもそも「井の中の蛙は大海を知らず」という言葉は、中国の『荘子』という古典に登場する言葉です。原文には、
「井蛙不可以語於海者」(井戸の蛙に海のことを語っても理解できない)
とあり、つまり「狭い世界しか知らない者に広い世界の話をしても通じない」という戒めが込められていました。
また、中国の思想家・韓愈(かんゆ)も似たような言葉を残しています。
「坐井而觀天,曰天小者,非天小也」(井戸の中から空を見て、「空は小さい」と言っても、空が本当に小さいわけではない)
という言葉です。
どちらも視野が狭いことへの戒めであり、「空の青さ」のような後半部分は存在していませんでした。
つまり、もともとの中国には、「井の中の蛙」に対するポジティブな続きは無かったのです。
後から日本人が『空の青さ』を足した
では、なぜ日本人は「されど空の青さを知る」という言葉を追加したのでしょうか。
日本では、「狭い世界にいる」というネガティブな状態を、逆に「一つの世界に深く集中している」とポジティブに解釈する傾向があります。つまり、「狭さ」を「深さ」に置き換えたわけです。
これは、「広い海を知らない蛙でも、自分の狭い井戸の中なら誰よりも詳しい」という前向きな考え方から生まれました。
実際、日本で最も古くこの続きが記録されたのは、1913年(大正2年)の矢田部良吉という研究者の書いた『故事俗諺研究』という書籍です。
この本ではじめて「されど空の青さを知る」というフレーズが文字として残されましたが、この頃はまだ広く知られてはいませんでした。
もともと存在しなかったポジティブな続きが生まれた理由は、日本人の価値観が深く影響していたのです。
『空の青さ』が学校とメディアで広まった経緯
日本でこの続きが広まった理由は、戦後の学校教育やメディアの影響でした。
最初に広まったのは1950年代〜60年代の学校です。戦争が終わったばかりで、世の中が前向きなメッセージを求めていた時期でした。教師たちは子どもたちへの励ましとして、「空の青さ」のフレーズを朝礼や校訓で頻繁に使い始めました。
次に広がったのは1960〜70年代のテレビや雑誌です。NHKなどの教育番組や一般向けのコラムがこのフレーズを取り上げたため、多くの家庭に浸透しました。
1980年代になると自己啓発ブームが訪れました。この時代には狭い世界の深掘りを肯定する考え方が共感を集め、ビジネス書や自己啓発書で紹介されたことでさらに広く知られるようになりました。
こうして、「空の青さ」は日本人の心に深く根付いていったのです。
まとめ
もともとの中国の言葉には、「井の中の蛙」に続きはありませんでした。それが日本に入ってくると、「狭さを深さとして肯定する」という独自の解釈が加えられ、「されど空の青さを知る」というフレーズが生まれました。
戦後、日本人の心に響く言葉として、学校教育やテレビ番組、自己啓発書などを通して広まっていきました。
このフレーズが広く知られるようになった背景には、日本人の「狭い視野にも価値がある」という独自の考え方が息づいていたのです。