飛脚便とは
飛脚便は、江戸時代に機能していた人力による郵便・物流システムのこと。手紙や書状、貨幣などを迅速に運搬するために設けられていました。
飛脚という言葉が「飛んで脚を使う」と書くように、当時基準で非常に速く走れる人たちが荷物を配達していたそうです。
飛脚のルーツは古代律令制の時代(7世紀後半頃)にまで遡ると言われ、元々は「駅伝制」といわれており、道路に一定間隔ごとに”駅”と呼ばれる要所を設置。そこに人と馬を配置し交通網を成り立たせていたそうです。戦国時代においては、戦国大名たちの連絡手段として使われていたようです。
江戸時代になると交通網が発展。商業や政治の交流が活発化したことから、飛脚便はその重要性を増していき、主要な通信手段だったそうです。当時の飛脚たちは、交通網を成り立たせるため自分の足や馬を駆使し山道や川を越えるなど、険しい地形を走り抜けたそうです。
飛脚便の速さ
当時の基準だと飛脚便は、それなりに早かったそうです。通常の徒歩では江戸から京都まで約2週間前後かかるところを、飛脚たちはたったの3~4日で駆け抜けていたそうです。
その理由は、飛脚たちは1人で走り続けるのではなく、数人の飛脚がリレー形式で交代しながら走っていたから。定期的に設置されている駅にて人と馬を中継することで、スピードを上げていたそうです。そのため、ひとりの飛脚が走る距離はだいたい10㎞程度だったそうです。
ただし、現代の基準と比較すると飛脚たちの速さは微妙だったという意見もあります。江戸から京都までを3~4日で通うとなると時速は約7km~8km程度。現代のマラソンランナーは時速18km~19km、速い人だと時速20kmで走るため数字だけで見るなら飛脚便の速度はそこまで速くはなかったそうです。
ただし、道路状況やシューズなど様々な条件が現代と江戸時代では異なるため一概に必ずしも遅かったとは断言できません。もしかすると飛脚たちが現代のマラソンに参加したら驚異的なスピードを記録するかもしれませんね。
江戸時代の飛脚について知ってみよう!
江戸時代の飛脚は、配送手段としてだけではなく、経済や政治の根幹を担う重要な職業だったそうです。飛脚たちがいたからこそ、離れた地の大名や高官たちが迅速に情報をやり取りでき、江戸時代は栄えられたのです。言うなれば、飛脚たちは江戸時代の土台を支えていた人たちだったといえます。
今回の記事を参考に、この機会に飛脚について理解を深めてみてはいかがでしょうか。
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