実はワールドワイド!? けん玉のルーツはフランスにあった
けん玉の原型といわれる遊びが誕生したのは16世紀のフランス。驚くべきことに、フランス王アンリ3世が夢中になって遊んでいた「ビル・ボケ」という遊びが、現在のけん玉に影響を与えたと言われています。
この「ビル・ボケ」は、棒の先端で糸に繋がれた玉を受けるもので、当時は貴族たちの間で流行しました。象牙や彫刻の施された豪華なビル・ボケを自慢し合う光景が、宮廷では日常的だったとか。そう考えると、現代のシンプルな木製けん玉とはずいぶん異なり、どこか優雅なイメージが湧いてきますね。
世界には、フランス以外にも様々なけん玉風の遊びが伝わっており、イギリスでは「カップ・アンド・ボール」、ドイツでは「クーゲル・ファング」などの名で親しまれていました。南米や北米にも類似の遊びがあり、地域ごとに異なる特色が生まれたのです。
それらの遊びがフランスから各地へと広がり、文化の中で形を変えていった過程は、けん玉がただの「おもちゃ」を超えた世界共通の文化遺産であることを物語っているかのようです。
江戸時代に伝わったけん玉、日本で独自の発展を遂げる
けん玉が日本に入ってきたのは、江戸時代の1777年頃だとされています。当時の長崎は、鎖国下でも唯一外国と交流のある港町であり、ここからけん玉が国内に広がっていったと考えられています。
この時代のけん玉は、持ち手の長い木製の「コップ」に糸で繋がれた玉を入れて遊ぶものでした。この「コップに入れる」というシンプルな遊びが、後に日本で「拳玉(けんだま)」として知られるようになりますが、現代のけん玉とは異なり、やや粗野で力強いイメージが漂います。
実は、江戸時代にはこのけん玉が占いにも用いられていました。例えば、玉が皿に入る回数で吉凶を占ったり、未来の出来事を予測したりする場面もあったそうです。当時の人々にとって、けん玉はただの遊び道具ではなく、人生の指針を示す神聖な道具でもあったのかもしれませんね。
「日月ボール」の登場!けん玉が日本文化として開花
大正時代の1918年、日本でけん玉に大きな変革が起こります。広島県の江草濱次氏が「日月ボール」という名でけん玉を改良し、これが現在のけん玉の原型となったのです。日月ボールは、三日月の形をイメージした皿に玉を受ける構造を持ち、これまでのけん玉と比べて多様な技が可能になりました。この進化が日本独自のけん玉文化の土台を築き、やがて全国で大ブームを巻き起こしました。
特にお寺や神社の境内で競技会が開かれるなど、日月ボールを用いたけん玉遊びは子どもから大人までを巻き込み、大正時代の一大娯楽として定着しました。現在のようなスポーツとしての競技性も、この頃から徐々に形作られていったのです。
昭和時代から広がるけん玉の競技化、日本けん玉協会の誕生
けん玉が再び注目を浴びるのは、昭和時代に入ってからです。1975年5月5日に設立された日本けん玉協会が、けん玉の競技性を高めるため、統一ルールや級・段位認定制度を導入しました。さらに、この頃から技術の向上に応じて「競技用けん玉」も登場し、けん玉がただの遊具ではなくスポーツとして確立されていきました。
全国各地で開催される競技会や試験は、多くのけん玉愛好者にとって腕を磨く場となり、今や日本全国で「けん玉道」を極めようとする人々が増えています。たかがけん玉、されどけん玉――その深さと奥行きを味わうことで、けん玉の新しい一面を発見できるでしょう。
現代のけん玉、世界へ!生涯スポーツとしての新たな可能性
現在、けん玉は「生涯スポーツ」として幅広い世代に親しまれています。けん玉は遊びや競技としての側面だけでなく、集中力やバランス感覚を鍛える効果もあり、教育やリハビリの現場にも活用されています。さらに、世界中で「KENDAMA」として普及が進んでおり、アメリカやヨーロッパでも競技大会が開かれるなど、けん玉は国際的な架け橋としても役立っています。
最近では、若い世代のけん玉プレイヤーたちがSNSを通じて華麗な技を披露し、けん玉がグローバルなエンターテインメントとして注目を集める場面も増えてきました。このように、けん玉は日本の伝統に留まらず、世界中の人々と共に楽しめる「未来のスポーツ」として新たな可能性を秘めています。
けん玉の奥深さをシェアしてみよう!
けん玉は単なる「おもちゃ」ではなく、歴史や文化、スポーツの要素が詰まった奥深い遊具です。フランスで誕生し、日本で独自に進化し、今や世界に広がるけん玉の魅力を、ぜひ友人や家族にも教えてあげてください。こんな雑学が会話に花を添えるかもしれませんね。