誰もが憧れたあの旗には深い理由があった
「お子様ランチといえば、ごはんの上に立っている旗!」という人も多いはず。実は、この小さな旗には、子どもたちを想う料理人の温かい思いが込められていました。
昭和5年(1930年)、東京・日本橋三越の食堂で働いていた安藤太郎さんは、当時23歳の若き料理人でした。ある日、彼は店に届いた可愛らしいお皿を手に取ったことをきっかけに、子どもたち向けの特別な料理を作ろうと考えました。
サンドイッチ、スパゲッティ、コロッケ、ハム。子どもが大好きなおかずを少しずつ詰め込み、真ん中にはケチャップで味付けしたごはんを富士山のように三角に盛り付けました。そして、この「富士山」の頂上には、ある思いを込めて小さな旗を立てることにしたのです。
お子様ランチの旗には山登り好きの料理人の夢が込められていた
なぜ、安藤さんはケチャップライスの上に旗を立てることを思いついたのでしょうか。
実は彼には、大好きな趣味がありました。それは山登り。登山家が山頂に到達したときに旗を立てる姿に憧れ、「子どもたちにも山頂に立つような達成感と喜びを味わってほしい」という願いを込めて、ケチャップライスの頂上に旗を立てることを思いついたのです。
当時は世界恐慌の真っただ中。日本も深刻な不況に見舞われ、街には暗い空気が漂っていました。「せめて子どもたちには、食事の時間だけでも明るい気持ちになってほしい」。そんな安藤さんの優しい思いは、小さな旗となって子どもたちの心を温めることになりました。
お子様ランチ誕生の陰に秘められた2つの物語
このお子様ランチ、実は「御子様洋食」という名前で生まれました。価格は30銭。当時のカレーライスとカツレツの中間くらいの値段でした。子どもたちの笑顔のために、安藤さんは採算を度外視してメニューを考案したのです。
そして翌年、上野の松坂屋でも同じような子ども向けの料理が登場します。こちらは春の花見シーズンに合わせたタイミング。上野公園でお花見を楽しんだ後の家族連れをターゲットに「お子様ランチ」と名付けられました。実はこの名前が現代に受け継がれることになったのです。
子どもたちの夢を乗せて進化したお子様ランチの世界
時代とともに、お子様ランチは子どもたちの心をつかむ工夫を重ねていきました。新幹線や飛行機の形をしたプレート、ドライアイスで演出する蒸気機関車、さらには1960年代には当時人気絶頂だったウルトラマンのおもちゃがおまけについたことも。休日には1日1,300食もの注文が入ったという記録も残っています。
現代のお子様ランチを見ても、ハンバーグやエビフライ、ナポリタンなど、子どもが大好きなメニューが所狭しと並び、もちろんケチャップライスの上には今でも愛らしい旗が立っています。90年以上の時を経ても、子どもたちの笑顔を想う安藤さんの思いは、確実に受け継がれているのです。
お子様ランチが教えてくれる人生の素敵な物語
お子様ランチの旗には、子どもたちの夢と笑顔を守りたいという、一人の料理人の優しい思いが込められていました。世界恐慌という暗い時代に、子どもたちに希望を与えようとした安藤さんの想いは、90年以上の時を超えて、今も私たちの心を温めてくれています。
次にお子様ランチを食べるとき、ケチャップライスの上に立つ小さな旗を見つめながら、この素敵な物語を誰かに話してみませんか?きっと、普段何気なく目にしているものにも、誰かの優しい思いが隠れているかもしれないと気付くはずです。
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