日本でもおなじみの「トマト」
食卓に欠かせない野菜『トマト』。サラダやパスタ、スープなど、様々な料理に使われていますが、日本でトマトが食べられるようになったのは意外と最近なことを、みなさんご存じでしょうか? かつて日本では、トマトは「観賞用」として扱われ、食べる習慣がほとんどなかったのです。
では、なぜトマトが食材として広まったのか? 実は、その転機となったのは「ケチャップ」でした。
今回はトマトに関する面白い雑学をお届け。最後までお読みいただくと、トマト博士に一歩近づけることでしょう。
日本では元々トマトは鑑賞用だった
トマトが日本に伝わったのは江戸時代のこと。四代将軍・徳川家綱に仕えた絵師・狩野探幽の作品には、「唐なすび」と呼ばれるトマトに似た植物が描かれています。ただし、当時の日本ではトマトはあくまで観賞用。食べる野菜ではありませんでした。
一説によると、試しに口にした人もいたようですが、独特の香りや鮮やかな赤色が不気味に映り、「毒があるのでは」と警戒されたため、食材としては定着しなかったそうです。
その後、明治時代になると、トマトはキャベツやタマネギなどと一緒に欧米から再び日本へ伝来。今度は「赤茄子(あかなす)」と呼ばれました。ただ、やはり日本人の味覚にはなじまず、主に外国人向けの料理に使われていたそうです。
トマトの価値を変えたのはケチャップ
日本で鑑賞用として扱われていたトマトに可能性を見出したのが、愛知県出身の「蟹江一太郎」氏。農家の息子として生まれ、兵役を終えて故郷に戻った蟹江氏は、西洋野菜に強い興味を持ったとのこと。自宅の庭に海外から取り寄せた「赤茄子(トマト)」などの種を蒔いたそうです。その後、蟹江さんは育てた西洋野菜の販売を開始したとのこと。
ただ、やはりトマトだけは真っ赤な見た目と青臭い風味が、日本人には受け入れられず売れなかったそうです。そこで蟹江氏はトマトを煮詰めてソースを作ることを考案。こうして日本で最初のトマトソース(ケチャップ)が誕生。現在のトマトピューレに近いドロッとしたもので、後のトマトケチャップの原型となったそうです。
大正時代に入ると、日本でも洋食ブームが到来。トマトケチャップの需要も急増し、コロッケやオムライスに使われはじめたそうです。ケチャップをキッカケに、トマトの味が次第に日本人の食卓に浸透。こうして鑑賞用だったトマトが「美味しい野菜」に変化したのです
ちなみに、蟹江氏は工場を設立しケチャップの本格生産を開始。「愛知トマトソース製造」を立ち上げ、現在の『カゴメ株式会社』へと発展しました。
今回の雑学、トマトやケチャップを食べるときにでも思い出してみてください。もしかすると、いつもよりも美味しく感じられるかもしれませんよ。
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