なぜ『木彫りの熊』は人気?スイス発祥のアイデアが北海道で広まった経緯

雑学

北海道の定番土産「木彫りのクマ」

「木彫りのクマ」といえば、北海道を思い浮かべる方も多いでしょう。木彫りのクマは北海道を代表する民芸品で、昔からお土産としても人気が高い代物です。そんな木彫りのクマですが、実は意外な人物が考案したといわれています。

今回は木彫りのクマの由来に関する面白い雑学をお届けします。最後までお読みいただくと、木彫りのクマが欲しくなるかもしれませんよ。

八雲町での発祥

「木彫りの熊」の発祥は、いまより約100年前、北海道南部にある八雲町で生まれたといわれています。八雲町は尾張徳川家と深い縁がある町。明治時代には藩士たちが入植し「徳川農場」などを運営していました。

大正12年(1923年)、尾張徳川家第19代当主「徳川義親」はスイス・ベルンに旅行中、出会った木彫りの熊に感銘を受けたそうです。徳川義親は、お土産として持ち帰った木彫りのクマを徳川農場へ送り、生産を推奨。厳しい冬や経済的困窮に苦しむ農民を助けるため、木彫りのクマを農閑期の収入源にしようと考えたそうです。

はじめに制作を始めたのは町内で暮らしていた「伊藤政雄」。画家の「十倉金之」という人物を講師に迎えて本格的な制作がスタート。徳川農場で実際に熊を飼育しながら、リアルな彫刻を作り上げたといわれています。

ちなみに徳川義親は、作られた木彫りのクマを1個1円で買い取ったそうです(当時の価値で約4,000〜5,000円)。けっこう、いいお値段で買い取っていたみたいですね。

旭川市はまた別の経緯がある

「木彫りの熊」の発祥は八雲町が有名ですが、北海道・旭川市でも栄えていたといわれています。

旭川市で木彫りのクマが登場したのは、八雲町で木彫りクマの製作がはじめってから数年経った1926年(昭和元年)。「松井梅太郎」という人物が木彫りのクマを制作したことがきっかけだったそうです。当時の旭川市には大日本帝国陸軍の第七師団が駐屯しており、軍人たちが家族への土産物として持ち帰っていたそうです。

旭川市で作られていた木彫りクマのルーツに関しては、八雲町の影響を受けているという説と旭川独自の文化から生まれたという説の2つが存在するそうです。

ちなみに、1936年(昭和11年)昭和天皇が北海道を訪れた際には、八雲町と旭川市それぞれから木彫り熊が献上されたようです。年数的には八雲町の方が古いですが、旭川市でも木彫りクマの生産が盛んだったことが伺えますね。

木彫りのクマを見たら今回の雑学を思い出してみよう

今回の雑学を振り返りましょう。木彫りのクマが日本で初めて登場したのは、1923年。尾張徳川家第19代当主「徳川義親」がスイス旅行での出来事をキッカケに自身の領地でも生産しようと提案したのが始まりだったようです。

今回の雑学、木彫りクマを見かけたときにでも思い出してみてください。

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