『3分間電話の日』から始まる、昭和が残した通信文化
「もしもし、今どこ?」
この何気ない一言から始まる電話。今では当たり前のようにポケットに入っているスマートフォンで、いつでもどこでも通話ができます。でも、昭和45年にさかのぼると、街角の公衆電話が人々の大切な通信手段でした。
この時代、公衆電話は10円を入れれば時間無制限で話せる”夢の通信機器”。待ち合わせに遅れそうな時、大切な人に声を聞かせたい時、公衆電話の前には長蛇の列ができていました。特に、学生たちの長電話は有名で、「次の人が待っているのに…」とため息をつく人も少なくありませんでした。
この状況を改善するために導入されたのが「3分10円」という新しい料金システム。当時の新聞では「より多くの人が公平に電話を使えるように」と報じられ、社会の大きな話題となりました。
ダイヤルを回して始まる思い出の3分間
電話の歴史を語る上で欠かせないのが、あの懐かしい「もしもし」という言葉です。
実は、この「もしもし」には興味深い由来があります。明治時代の電話交換手(※1)が「申し上げます、申し上げます」と言っていた言葉が、「申す、申す」となり、最終的に「もしもし」に変化したのです。
公衆電話は1890年(明治23年)の登場以来、日本の通信文化の中心として歩んできました。特に注目すべきは、1970年代に起きた大きな変化です。10円硬貨1枚で時間無制限だった通話料金が、3分間10円という新しい仕組みに変わったのです。
この変更は、当時の社会問題を解決するための策でもありました。終電間際の長電話、待ち合わせ場所での延々と続く会話、恋人同士の尽きない話題…。様々な場面で見られた長電話は、緊急連絡を取りたい人にとって大きな障壁となっていたのです。
※1:電話交換手:電話の接続を手動で行っていた係員。現在の自動交換システムが導入される以前は、すべての電話をこの交換手が手作業でつないでいました。
赤・青・黄色!カラフルに進化した公衆電話の裏話
公衆電話の歴史は、色とともに歩んできました。1953年に登場した赤電話は、その鮮やかな色で街の風景を彩りました。実は、この赤色は緻密な計算のもとで選ばれたもの。色相値(※2)まで厳密に定められ、目立ちやすく、かつ退色しにくい特別な赤が採用されたのです。
※2:色相値:色の特性を表す数値のこと。この場合、色相3.5YR、明度2、彩度3という具体的な数値が定められていました。現代のデジタルカラーコードに似た、当時としては画期的な色彩管理システムでした。
青電話から始まる新時代、100円玉が変えた通話スタイル
1968年、市外通話を可能にした青電話の登場は、通信革命の始まりでした。それまで市内しかかけられなかった電話が、遠く離れた場所ともつながるようになったのです。さらに1972年には、100円硬貨が使える黄電話が誕生。「100円玉でモシモシ、お釣りはデンデン」という言葉が流行したほど、人々の生活に密着していました。
意外と知らない公衆電話の豆知識
公衆電話には、私たちが気づかない工夫がたくさん隠されています。例えば、電話機の「#」という記号。多くの人が「シャープ」と呼んでいますが、正式には「スクエア」「ハッシュ」「イゲタ」が正しい呼び方なのです。シャープ(♯)は音楽記号で、横線が斜めになっているのが特徴です。
93万台から11万台に激減!公衆電話40年の軌跡
携帯電話が普及する前の1984年、日本全国には93万4903台もの公衆電話が設置されていました。街のあちこちで見かけた緑色の電話ボックスは、まさに通信のインフラとして機能していたのです。それが2024年3月末には約11万333台にまで減少。この数字からは、私たちの通信手段の大きな変化が読み取れます。
進化を続ける公衆電話、災害時の強い味方へ
しかし、公衆電話は単に数を減らしただけではありません。災害に強い通信手段として、新たな役割を担うようになったのです。一般の携帯電話が輻輳(ふくそう ※3)で使えなくなる中、公衆電話は災害時優先電話として機能し続けます。
特に注目すべきは、災害時の無料化措置です。東日本大震災の際には、被災地の公衆電話が無料で開放され、多くの人々の命をつなぐ通信手段となりました。停電時でも使える仕組みを備え、バッテリー切れの心配もない。そんな公衆電話の特性が、現代社会で新たな価値を生み出しているのです。
※3:輻輳(ふくそう):多くの人が一斉に電話をかけることで回線が混み合い、つながりにくくなる状態。災害時によく発生します。
時代を超えて語り継ぎたい『3分間電話の日』の物語
公衆電話は、私たちの生活の変化を映し出す鏡のような存在です。3分間電話の日は、そんな公衆電話の歴史を振り返るきっかけを与えてくれます。時代が移り変わる中で、公衆電話は形を変えながらも、いつも私たちの傍らにありました。
思えば、公衆電話には様々な思い出が詰まっています。受験の合格発表を家族に伝えた思い出、遠距離恋愛の相手と話した3分間、旅先で両親に無事を知らせた瞬間…。一台一台の公衆電話が、たくさんの人生の物語を見守ってきたのです。
今では、テレホンカード(※4)を探すのも難しくなりました。しかし、災害時の命綱として、また昭和の通信文化を伝える存在として、公衆電話は新たな役割を担っています。今夜の食卓で、家族や友人と「実は公衆電話って…」と話を始めてみませんか?きっと、世代を超えた楽しい会話が広がるはずです。
※4:テレホンカード:1982年に登場した、公衆電話用のプリペイドカード。当時の若者の間では、アーティストの写真やアニメキャラクターをデザインしたテレホンカードが人気のコレクションアイテムとなっていました。
項目 | 内容 |
---|---|
記念日 | 1月30日 |
制定の契機 | 1970年の公衆電話料金改定(時間無制限から3分10円へ) |
歴史的背景 | ・長電話による回線独占の問題 ・緊急連絡の妨げ防止 ・通信インフラの効率的運用 |
関連する用語の由来 | ・「もしもし」:「申し上げます」の省略 ・「#」:正式名称はスクエア/ハッシュ/イゲタ |
年代 | 出来事 | 特徴 |
---|---|---|
1953年 | 赤電話登場 | ・店頭設置型 ・特殊な赤色(色相3.5YR)採用 |
1968年 | 青電話登場 | ・市外通話が可能 ・電話ボックス設置型 |
1972年 | 黄電話登場 | ・100円硬貨対応 ・お釣りなしシステム |
1982年 | テレホンカード導入 | ・プリペイド式 ・コレクションアイテム化 |
1984年 | 設置台数ピーク | 約93万4903台 |
2024年 | 現在の設置台数 | 約11万333台 |
現代の役割 | 災害時対応 | ・災害時優先電話 ・停電時も使用可能 ・無料化措置あり |
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