江戸時代、実際にあった清水の舞台から飛び降りた人の記録
「清水の舞台から飛び降りる」ということわざ、皆さんも一度は耳にしたことがあるでしょう。しかし、実はこの言葉の由来は単なる比喩ではなく、江戸時代に清水寺で本当に飛び降りが行われていたことに由来しています。京都の観光名所である清水寺の舞台から、実際に234人もの人が飛び降りを試みた記録が残されているのです。
この記録は、清水寺の「成就院日記」という日誌に書き記されたもので、1694年から1864年の約170年間にわたって綴られました。成就院は清水寺の一部であり、江戸時代に飛び降り事件の詳細を記録する役割を担っていました。これにより、飛び降りた人々の年齢や性別、動機などが具体的に記録されています。
生存率85%の理由とは?舞台の下にあった救いの木々
清水寺の舞台の高さは約12メートル。これは4階建てのビルに相当します。この高さから飛び降りて無事だったなんて信じられないかもしれませんが、実際には約85%という高い生存率が記録されています。その理由の一つが、当時の舞台の下の環境です。
江戸時代の清水寺の舞台の下は、多くの木々が生い茂っていたため、落下時の衝撃を和らげるクッションの役割を果たしていたとされています。また、地面も現在ほど固くなく、柔らかい土が広がっていたため、落下のダメージが軽減されていたのです。特に若者は体が丈夫で柔軟だったため、助かる確率が高かったと考えられています。
願掛けに賭けた若者たち!飛び降りたのはなぜ10代が多かった?
記録を見ると、清水の舞台から飛び降りた人々の73%が10代から20代の若者でした。最も若い飛び降り者はわずか12歳。なぜこれほど多くの若者が飛び降りを試みたのでしょうか?
その背景には、強い願掛けの信仰がありました。「観音様に命を預けて飛び降りれば、命は助かり、願いが叶う」という迷信が庶民の間に広がっていたのです。病気の治癒や家族の健康、将来への希望など、様々な願いを抱えた人々が、清水寺の舞台でその願いを託したといいます。特に若者は、まだ人生経験が少ないことから、強い信仰心に基づいて大胆な行動に出やすかったと考えられます。
飛び降りた70%は女性!祈りに込められた願いとは?
さらに、驚くべきは、飛び降りた人の70%が女性であったという事実です。当時、女性たちの間で特に信仰心が篤かったことが背景にあるとされています。たとえば、病気の家族のためや、恋愛の願いを叶えるために命を懸けるケースが多かったのです。
また、2度飛び降りて2度とも無事だったという強運の女性も記録に残されています。このエピソードは、当時の女性たちの強い信仰心と勇気を象徴するものとして語り継がれています。
明治時代に飛び降り禁止令が!竹矢来の設置と飛び降りの終焉
しかし、明治時代になると、京都府はこの飛び降り行為を危険な迷信として見なし、1872年(明治5年)に「飛び降り禁止令」を発布しました。これにより、清水寺の舞台の周りには竹矢来(柵)が設置され、物理的に飛び降りを防ぐ措置が取られました。
この措置の影響で、次第に飛び降りの風習は沈静化し、現在では飛び降り行為は行われていません。こうして「清水の舞台から飛び降りる」という言葉は、決断や覚悟を示す比喩として現代に残ったのです。
「覚悟を決める」という言葉に変わった清水の舞台
現代において、「清水の舞台から飛び降りる」という言葉は、人生の大きな決断や覚悟を示す比喩として使われています。実際に飛び降りることはなくなりましたが、清水寺は今も多くの観光客を魅了し、覚悟の象徴として語り継がれています。
清水寺の舞台は、単なる観光スポットではなく、歴史と信仰が織り交ぜられた特別な場所として存在し続けています。この場所に立つことで、当時の人々の覚悟や願いの強さを感じ取ることができるのかもしれません。
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