テレビに初めて映ったのは『カタカナの”イ”』だった!?テレビにまつわる面白雑学4選

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テレビの歴史には知られざる雑学がいっぱい!

今や当たり前のように一般家庭で普及しているテレビは、情報を得るために重要な1つの手段として活躍し、時に笑ったり、涙したりと、感情を揺さぶられることもある家電です。

そんなテレビの発展には、多くの人の手が関わってきました。また、その歴史を振り返ってみると、面白い雑学もたくさん含まれています。

今回は、テレビにまつわる意外で楽しい豆知識を4つご紹介します。

テレビにまつわる雑学4選

日本はテレビ開発の先頭を走っていた

世界で初めてテレビとして作られたのは、ブラウン管式のものでした。実は開発の最前線を走っていたのは日本であり、世界で初めてブラウン管式テレビの実験に成功したのは、浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)に助教授として着任していた高柳健次郎氏です。

ブラウン管式テレビの実験に成功した1926年当時は、ラジオ放送ですらまだ始まってまもない頃。それにも関わらず、次の一手としてラジオ放送の改善ではなく、遠くに映像を送る手段を考えようとした高柳氏の先見の明には驚かざるを得ません。

ところが、順調に進んでいたテレビの開発も、第二次世界大戦の勃発と深刻化によって、すべてがストップすることになりました。戦後ようやく開発事業が再開し、初めて日本国内でテレビ放送が始まったのは、日本の主権が回復した後の1953年のことです。

テレビ画面に初めて映されたのは「イ」

テレビの原型となるものを作り上げた高柳氏の実験では、石英版に書かれた文字を特殊な撮像装置で読み取り、電子式のブラウン管に送って映像を映し出していました。

実験で初めて映し出されたのは、人の姿や特定の物などではなく、カタカナの「イ」。当時は複雑ではなく、分かりやすい映像例として、「いろはにほへと…」の最初の文字が選ばれたようです。

世界で初めてテレビに映ったのが1文字のカタカナだったなんて、何だか面白いですね。

販売当初のテレビは高価すぎる家電だった

当初日本国内で販売され始めたテレビに映るのはモノクロ映像でしたが、多くの日本人が大相撲やプロレス、野球中継などに夢中になりました。けれども、一般家庭にテレビが普及するまでには、少し時間がかかっています。

というのも、テレビは高級品で、庶民が気軽に購入できる家電ではなかったからです。

大卒初任給の平均が8000円ほど、月給平均が1万3000円ほどの時代に発売が始まった白黒テレビの価格は、およそ17~18万円。簡単には買えない人たちは、街頭にあるテレビの前に集まり、放送を見ることが多かったのだとか。

1960年にはカラーテレビも登場しますが、この時も発売当初は52万円ほどの高値がつき、大卒初任給の平均が16000円ほどだった時代には憧れの家電だったようです。一家に1台が叶うようになったのは、1970年代に入ってからでした。

「放送禁止用語」は実際には存在しない

今ではさまざまなテレビ番組が放送されるようになりましたが、それと同時に内容への配慮も必要な時代に突入しています。時には、番組の放送中に”ピー”という音とともに言葉が遮られたり、発言を編集でカットして放送しないといったケースもありますよね。

これらは「放送禁止用語」が基準となり、実施されているわけですが、実は法的に定められているものではありません。

日本では憲法において「言論、表現の自由」が認められているため、あくまでテレビやラジオなどを放送する側が自主的に規制して行っています。最近では、「不適切な言葉」の範囲をどのように解釈するかも難しい問題となっており、番組制作は困難を極めているようです。

進化を続けるテレビにワクワク

テレビ開発の歴史には、日本の学者や技術者が大いに関わっているなど、雑学として知ると何だか誇らしい気持ちにもなる情報があふれています。

今ではブラウン管のテレビを見ることは少なくなり、薄型のテレビが当たり前となったほか、4K・8Kの超高精細な映像での放送も始まるなど、テレビはまだまだ進化を続けている途中。

これからどんなテレビの時代へと移り変わっていくのか、未来が楽しみです!

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