ラジオ体操第三がなぜ消えたか?歴史から真相に迫る
「ラジオ体操第三」と聞いて、「そんなものがあったの?」と感じた方も多いのではないでしょうか。
実は戦後すぐの1946年4月、ラジオ体操に第三が誕生しました。しかし、この第三はわずか1年半後の1947年8月には早くも姿を消し、幻の存在となったのです。
では、なぜラジオ体操第三はこれほど短命に終わったのでしょうか?ここからは、歴史的な事実をもとに、その理由を見ていきましょう。
放送開始からわずか1年半で消えた理由
ラジオ体操第三があっという間に消えた背景には、複数の要因が重なっています。まずは、以下の年表をご覧ください。
- 1946年4月:「新ラジオ体操(第三)」がNHKで放送開始。
- 1946年12月:GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による放送内容の管理が強化される。
- 1947年5月頃:「第三は動作が複雑でわかりにくい」という意見が新聞などで頻繁に報道されるようになる。
- 1947年8月:普及率の低迷を理由に、第三の放送が終了する。
特に大きな要因は、「GHQの関与」と「動きの複雑さ」、そして「普及率の低さ」の3点です。GHQは当時、軍隊式の訓練色が強い運動を避けるよう指導していました。第三の動きは跳躍や全身を激しく使う動きが多く、軍隊式訓練を連想させると指摘されたのです。
さらに、当時のNHK年鑑(1947年版)によると、「動作の難しさから一般家庭で定着せず、第三の普及率は第一、第二と比べ著しく低かった」と記載されています。つまり、ラジオ体操第三は時代背景や体操の性質が原因で短命に終わったのです。
そもそもラジオ体操は第何まである?
では、そもそもラジオ体操は第何まであったのでしょうか?結論から言えば、正式に存在したのは第一、第二、第三の三種類のみです。
- ラジオ体操第一:最もポピュラーでシンプルな動きが特徴。現在も日本全国で広く普及しています。
- ラジオ体操第二:第一よりやや動きが複雑ですが、一定の人気があり、今でも放送されています。
- ラジオ体操第三:激しいジャンプや大きな動きが特徴で、短期間で消滅した幻の体操です。
実は、「第四以降」のラジオ体操は正式には存在しません。つまり第三が「幻」と呼ばれる理由は、存在したもののあまりにも短期間で消えたため、現在では知る人が極めて少なくなったからなのです。
ハード過ぎた?数字で読む「第三」の実像
ラジオ体操第三が短命に終わった大きな理由は、その「ハードすぎる動き」です。
第三には15種類の動作がありますが、そのうちジャンプ動作が8回も含まれています。これはジャンプが一度もない第一や3回の第二と比べてかなりの差です。また、運動強度の指標であるMETs(メッツ)は第三が約8.0。第一の約4.0や第二の約5.5と比較すると、軽めのジョギング並みの強度です。
実施時の心拍数も推定で毎分130〜150拍に達し、朝に行うには負担が重すぎました。消費カロリーも体重60kgの場合で約25kcalと短時間としては高く、一般家庭に普及しにくかったのです。数字から見ても、第三が定着せず消えてしまったのは自然なことだったと言えます。
まとめ
今回は、ラジオ体操第三がなぜ消えたのか、その知られざる理由や体操の特徴を見てきました。
第三は1946年に始まったものの、GHQの介入、動作の難解さ、さらには強すぎる運動強度が原因でわずか1年半で放送終了となりました。ラジオ体操には実は第三までしかなく、それが短命だったために「幻」と呼ばれるようになったのです。
短期間で消えた第三ですが、実は運動強度が非常に高く、現代で見ても驚くほどユニークな体操でした。ここで知った情報を、ぜひ家族や友人との会話のネタにしてみてください。きっと面白がってもらえるはずですよ。