トンボはなぜ『勝ち虫』と呼ばれる?武士が兜や刀に刻んだ驚きの理由

雑学

 

トンボと『勝ち虫』の深い関係

あなたは浴衣や和小物に描かれたトンボ柄を見たことがあるでしょうか?単なる可愛らしい昆虫の模様と思っていたそのトンボには、実は「勝ち虫」という別名があり、日本の歴史や文化に深く根付いた意味が隠されているのです。

戦国時代、武将たちの兜や刀の装飾にもよく使われていたトンボの意匠。なぜ彼らは戦いに臨む際、このひらひらと飛ぶ昆虫を身に着けたのでしょうか?私自身、子どもの頃に祖父から「トンボは勝ち虫だから大事にしなさい」と言われた記憶がありますが、その真意を知ったのはずっと後のことでした。

この記事では、日本人に古くから親しまれてきたトンボが「勝ち虫」と呼ばれる理由から、武将たちとの深い関わり、そして現代にまで受け継がれる文化的価値まで、トンボにまつわる奥深い物語を紐解いていきます。

雄略天皇とトンボの物語『勝ち虫』の由来

「勝ち虫」という呼び名の最も有力な由来は、古事記と日本書紀に記された雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の逸話にさかのぼります。

今から約1500年前、第21代天皇である雄略天皇が吉野で狩猟を楽しんでいたとき、休憩中に大きな虻(あぶ)が天皇の腕に止まり、刺そうとしたのです。

その瞬間、どこからともなくトンボが飛んできて、虻を素早くくわえて飛び去りました。天皇の危機を救ったトンボの勇敢な行動に感銘を受けた雄略天皇は、その場で歌を詠み、トンボを称えたといいます。

「秋津島 大和の国に あきつ飛ぶ 速き蜻蛉よ いさぎよきかな」

この出来事をきっかけに、トンボは「勝ち虫」と呼ばれるようになったと伝えられています。小さな虫でありながら、自分より大きな虻に立ち向かい勝利したトンボの姿は、戦いに挑む武士たちの心を捉えたのでしょう。

興味深いことに、この逸話によって「あきつ」(トンボの古語)から「あきつしま」という日本の別称も生まれました。日本人とトンボの関係がいかに古く、深いものであるかがうかがえますね。

しかし、「勝ち虫」の由来にはもう一つの説が存在します。それは武士たちがトンボの中に見出した特別な精神性に関わるものでした。

不退転の象徴 武士たちが見たトンボの勇気ある姿

「勝ち虫」の由来には、もう一つ広く知られた説があります。それはトンボの飛び方に関係しています。トンボは前進することはあっても、後退することはないという特性から、「不退転(ふたいてん)」の精神を象徴する生き物として武士たちに崇められていたというのです。

しかし、実はこの説には少し矛盾があります。「とんぼ返り」という言葉があるように、トンボは実際には方向転換が得意で、ホバリングや後進さえできる高度な飛行能力を持っています。では、なぜこのような説が広まったのでしょうか?

それは恐らく、トンボの俊敏さと直線的な飛行パターンが、退くことを知らない武士の理想的な姿と重ね合わされたからではないでしょうか。実際のトンボの生態よりも、武士たちが理想とする「不退転」の象徴として、トンボのイメージが形作られていったと考えられます。

この「退かない」というイメージは、武具の意匠として取り入れられることで、武士たちの心構えを表す象徴となりました。トンボの意匠を身につけることで「この戦いでは決して退かない」という強い意志を示し、同時に勝利への願いを込めていたのです。

面白いことに、猪も前進するだけで退かない動物として知られていましたが、猪のような「猪突猛進」は時に危険を招く「猪武者」として軽蔑の対象となることもありました。それに比べてトンボは、素早さと的確さを兼ね備えた理想的な武士の象徴だったのかもしれません。このような象徴性は、具体的にどのように武将たちの装いに反映されていたのでしょうか。

武将たちの装いに見る『勝ち虫』戦国の兜と刀の意匠

戦国時代、多くの武将たちがトンボを装飾モチーフとして取り入れていました。特に有名なのは、加賀百万石で知られる前田利家です。利家の兜の前立てには、大きなトンボの飾りがついていました。運を味方につけるための「勝ち虫」の力を借りようとしたのでしょう。

また、武田信玄の重臣であった板垣信方は、トンボへの愛着が特に強かったことで知られています。兜の前立てだけでなく、手甲や着物まで、あらゆるものにトンボの意匠を施したといいます。「トンボの板垣」という異名を持つほどでした。

「山本勘助のようにずる賢く立ち回るよりも、正々堂々と前進するトンボのような武士でありたい」というのが板垣の信条だったとも伝えられています。このエピソードからは、当時の武士たちがトンボに託した思いの深さが伝わってきますね。

『蜻蛉切』本多忠勝の伝説の槍

勝ち虫トンボにまつわる武具の話で外せないのが、徳川四天王の一人、本多忠勝の愛用した槍「蜻蛉切(とんぼきり)」です。この槍は、飛んできたトンボがその鋭い刃に触れただけで真っ二つに切れたことから、その名がついたと伝えられています。

勝ち虫として縁起の良いトンボを切ってしまったにもかかわらず、これが不吉とされなかったのは興味深い点です。むしろ、刃の鋭さを表す名誉ある逸話として語り継がれました。「蜻蛉切」の名は、敵の武将が恃みとする「勝ち虫」の加護さえ切り捨てるという、本多忠勝の絶大な武勇を象徴していたのかもしれません。

歴史書『藩翰譜』にもこの逸話は記されていますが、「伝聞」として書かれているため、真偽のほどは定かではありません。しかし、それがフィクションであったとしても、当時の人々がトンボと武士の関係をいかに重視していたかを物語る貴重な資料といえるでしょう。

日本の伝統に根付く『勝ち虫』和文化

戦国時代が終わり平和な世が訪れると、トンボの「勝ち虫」としての意味合いは、次第に武具から日常の装飾品へと広がっていきました。着物や浴衣の柄、印籠や根付などの小物、家紋に至るまで、トンボは縁起の良いモチーフとして日本人の生活に溶け込んでいったのです。

特に江戸時代になると、トンボは武家だけでなく、商人や一般庶民にも広く親しまれるようになりました。「勝ち」が「商い」に通じることから、商売繁盛のお守りとしての意味合いも強くなっていきました。

現代でも七五三のお祝い着や子どもの浴衣にトンボ柄を選ぶ親は少なくありません。子どもの成長と幸運を願う気持ちが、今もトンボのモチーフに込められているのです。

勝ち虫と農業の関係 トンボは田んぼの守り神

トンボは害虫を捕食する益虫として、古くから農家の人々にも重宝されてきました。米作りが盛んな日本では、稲の害虫を食べてくれるトンボは「田の神の使い」とも考えられていたのです。

各地に残る「トンボを捕まえると目が潰れる」という言い伝えは、大切な益虫であるトンボを子どもたちが捕まえないようにするための戒めだったといわれています。五穀豊穣を願う農民たちにとっても、トンボは「勝ち」に通じる大切な存在だったのですね。

私の祖父も農家でしたが、田んぼにトンボが多いと「今年は豊作だ」と喜んでいました。科学的な根拠はともかく、そんな風に言い伝えられていた文化が、日本の各地で受け継がれていたのです。

ムカデも勝ち虫?もう一つの不退転の象徴

トンボと同様に「勝ち虫」と呼ばれる昆虫が、実はもう一つあります。それは多くの人が苦手とするムカデです。ムカデもまた、前進することはあっても後退することがないと考えられ、武士たちに「不退転」の象徴として重宝されていました。

伊達政宗の重臣であった伊達成実は、兜の前立てにムカデのモチーフを選んだことで知られています。足の多いムカデは「千足」とも呼ばれ、千人力の象徴としても捉えられていました。

しかし、トンボほど広く親しまれることはなかったムカデ。その理由は、見た目の印象やトンボに比べると馴染みの薄さにあるのかもしれません。それでも、戦国武将の中には、あえて人々が避けるムカデをモチーフにすることで、敵を威嚇する効果を期待した人もいたようです。

トンボとムカデ、同じく「勝ち虫」でありながら、そのイメージは対照的。日本人の美意識や価値観の多様性を感じさせるエピソードですね。これまで見てきたように、トンボは日本文化の中で特別な存在として長く愛されてきました。この文化的価値は現代にどのように継承されているのでしょうか。

日本人の心に生き続ける『勝ち虫』トンボ

雄略天皇の時代から1500年以上、日本人に愛され続けてきたトンボ。その「勝ち虫」としての文化的価値は、時代が変わっても色あせることはありません。

トンボは単なる昆虫ではなく、日本人の美意識や価値観、そして祈りの対象として、長い歴史の中で特別な存在になってきました。勝負事の前に「トンボが飛んできたら勝てる」と言われるのも、こうした文化的背景があるからこそでしょう。

最近では環境の変化により、都市部でトンボを見かける機会も減ってきています。かつて「あきつしま」と呼ばれた日本から、トンボが姿を消してしまうとしたら、それは私たちの文化的アイデンティティの一部を失うことにもなりかねません。

子どもたちに「トンボはなぜ勝ち虫と呼ばれるの?」と聞かれたとき、単に「前にしか進まないから」と答えるのではなく、雄略天皇の逸話や武士たちの精神性、そして日本人とトンボの長い関わりについても伝えてあげてください。

そうすることで、トンボは単なる昆虫ではなく、日本の歴史と文化を語る上で欠かせない「勝ち虫」として、これからも人々の心に生き続けていくことでしょう。あなたも次にトンボを見かけたら、その背景にある豊かな物語を思い出してくださいね。そして、ぜひ誰かにこの「勝ち虫」の素敵な話を伝えてみてください。きっと日本文化の奥深さに、新たな興味を抱いてくれるはずです。

こんな記事も読まれています

『カイロ』が海外にほとんどない理由とは?日本だけ普及するワケを解説!

2月5日は『笑顔の日』!作り笑いでもストレスが消えるって本当?