なぜ赤しそのふりかけが「ゆかり」と名付けられたのか
白いご飯にパラパラとふりかけると、鮮やかな赤紫色と爽やかな香りが広がる「ゆかり」。このふりかけの名前の由来を知っている人は意外と少ないものです。
街頭インタビューでは「社長の子どもの名前?」「ゆかりさんという人が作ったから?」といった声が多く聞かれますが、実は平安時代まで遡る深い意味が隠されているのです。
古今和歌集から生まれた意外な命名の物語
「ゆかり」という名前は、古今和歌集に収められた「紫の ひともとゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る」という和歌がルーツとなっています。この歌は、「紫草(むらさきそう)が一輪咲いているという縁(ゆかり)だけで、武蔵野のすべての草花が愛おしく感じられる」という意味を持っています。
三島食品は、この和歌に込められた「縁(ゆかり)」という言葉の持つ深い意味と、製品の赤紫色が重なることから「ゆかり」と名付けることを決めました。さらに「お客様との縁を大切にしたい」という思いも込められているといいます。
しかし、実はこの命名には思わぬ展開がありました。1960年、「ゆかり」の商標が既に中埜酢店(現・ミツカングループ)によって登録済みだったのです。ところが幸運にも、三島食品は中埜酢店と取引があり、同社の厚意によって「ゆかり」の商標を使用することができました。その後1999年には、ミツカングループから商標権が正式に三島食品へ譲渡されています。
ある営業マンの執念が生んだ画期的なふりかけ
1960年代後半、名古屋エリアを担当していた一人の営業マンが、現地で見つけた「赤シソを刻んだ漬物」に目を付けました。「これをふりかけにできないだろうか」。その一瞬のひらめきが、後の「ゆかり」誕生の起点となったのです。
しかし当時の三島食品では、魚粉(※1)を使った業務用ふりかけが主力商品。植物性原料だけのふりかけという発想は斬新すぎました。営業マンの上司は相手にせず、夜間に三島哲男社長の自宅に直接電話をかけるほどの執念で提案を続けました。社長からは「大石内蔵助みたいなことをするな。寝ていたのに、明日にしろ」と叱られましたが、諦めずに営業日報で商品化を訴え続けたのです。
ようやく開発許可が下りたものの、そこからが本当の挑戦の始まりでした。赤シソの香りと色を保ったまま乾燥させる技術の確立には、数カ月もの試行錯誤が必要でした。一人の営業マンの情熱から始まった開発は、2年の歳月をかけてついに実を結び、1970年、「ゆかり」は世に送り出されることになったのです。
※1:魚粉とは、魚を乾燥させて粉末状にしたもので、当時のふりかけの主流原料でした。栄養価が高く、特に戦後の食糧難時代には貴重なタンパク源として重宝されていました。
返品の山から始まった苦難の道のり
1970年の発売当時、「ゆかり」は全く売れませんでした。当時のふりかけといえば、のりやかつお節などの魚介類が主流。赤シソだけを使った真っ赤なふりかけは、あまりにも斬新すぎたのです。
店頭では長時間陳列しているうちに色が白っぽく変化してしまい、さらに売れ行きを下げる結果に。会社には返品の山ができ、「本当にこの商品は成功するのだろうか」という不安が社内に広がっていきました。
学校給食から広がった意外な成功の理由
転機は思わぬところからやってきました。東海地方の学校給食で「ゆかり」が採用されたのです。子どもたちは赤紫色のご飯に興味津々。「赤いご飯が食べたい!」「シソのご飯を作って!」と家族にねだるようになりました。
各家庭からの問い合わせが学校に殺到し、そこから口コミで評判が広がっていきました。1978年頃になると、ようやく売上が軌道に乗り始めます。この頃、三島食品は大きな決断を下します。「ゆかり」の食塩量を50%も削減するという思い切った変更でした。
匠の技が生んだ”理想の赤シソ”
しかし、新たな課題が浮上します。需要の増加に伴い、高品質な赤シソの安定確保が難しくなってきたのです。赤シソは栽培が繊細で、香りの決め手となるペリラアルデヒド(※2)の含有量にもばらつきが出やすい植物でした。
三島食品は近畿、中部、四国の産地を回り、農家と共同で栽培に取り組みましたが、在来種では限界がありました。そこで1988年、当時の社長が大胆な決断を下します。「自社で新品種を開発するしかない」。
品種改良は困難を極めました。花が咲く10月には、優良な株だけを選び出し、他の株との交配を防ぐために一つ一つ袋をかける必要がありました。タイミングが早すぎると種ができず、遅すぎると他の株と交配してしまいます。台風が来れば、ビニールハウスの網を握り締めて一晩中見張りを続けることもありました。
11年の歳月をかけ、1999年についに理想の赤シソが完成。「豊かな香り」への思いを込めて『豊香®』と名付けられ、翌年には農水省から新品種として認定されました。
※2:ペリラアルデヒドとは、シソ特有の爽やかな香りの正体となる化学成分です。日本酒に漬けた梅干しに赤シソを入れるのも、この成分の香りを活かすためです。
「ゆかり」から広がる個性豊かな”家族”たち
赤シソのふりかけとして知られる「ゆかり」ですが、実は個性豊かな”家族”がいることをご存知でしょうか。
長年、三島食品は新商品の開発に際して「3文字の平仮名」という命名ルールを守ってきました。その結果生まれた商品たちが、今では「ゆかり家の家系図」として親しまれています。
三姉妹として親しまれる「ゆかり」「かおり」「あかり」
長女の「ゆかり」に続いて、1984年に次女の「かおり」が誕生します。青シソの爽やかな香りを活かしたふりかけで、その名の通り「香り」の良さが特徴です。2010年には三女の「あかり」が加わりました。ピリ辛タラコを使用したふりかけで、名前は三島食品が福岡で展開していた惣菜店「あかり」から。「我が家の『灯り』のような存在に」という願いも込められています。
当初、社内では「人名みたい」という認識はなかったそうです。ところが2017年頃からSNSで「ゆかり三姉妹」として話題になり、並べて販売する店舗が増えていきました。パッケージデザインも、より”姉妹らっぽく”統一されていきます。
新しい仲間「ひろし」「かつお」が加わった理由
2021年、この三姉妹に思わぬ”弟”が登場します。広島県の特産品・広島菜を100%使用した「ひろし」の誕生です。実は当初「ひろこ」という名前に決まりかけていたのですが、社長の「広島菜をより強調したい」という一声で”男兄弟”となりました。
発売からわずか1カ月半で年間販売目標の1万ケースを達成する大ヒット商品に。「知らん男が増えてる」「君は誰だ」「ゆかりの何なの?弟?恋人?」とSNSを賑わせました。
2022年には「かつお」が加わります。枕崎産の本枯節(※3)だけを使った潔いネーミングは、三島食品のアットホームな社風から生まれたそうです。「徹底的に素材にこだわったんだから、シンプルに『かつお』くんでいこう」という発想でした。
※3:本枯節とは、カツオを何度も燻製にして作る最高級の鰹節のこと。通常の鰹節より時間と手間をかけて作られ、より深い旨味が特徴です。
日本の食卓に新しい味わいを届け続ける「ゆかり」の挑戦
意外にも三島食品は、テレビCMなどの広告宣伝費を原材料の品質向上に回す戦略を取っています。その分、商品の魅力で勝負する姿勢は50年以上変わっていません。
最近では「ゆかり」の楽しみ方も多様化。バニラアイスやモッツァレラチーズに振りかけると「未知なる味覚」に出会えるといい、海外ではフライドポテトやサラダのトッピングとしても人気だそう。さらに中東料理のスパイス「スマック」(※4)の代用としても使われているんです。
実は「ゆかり」には、ペンのような形状の携帯用タイプもあります。これは当時の社長が夜のクラブで焼酎に「ゆかり」を振りかけたところ、周囲の女性たちに「それ欲しい!」と話題になり商品化が決まったという、粋な逸話も残っています。
古今和歌集から名付けられ、一人の営業マンの情熱から生まれ、数々の試練を乗り越えて愛され続けてきた「ゆかり」。その歴史を知れば、次に食卓で「ゆかり」を振りかけるとき、また違った味わいが感じられるかもしれません。
※4:スマックとは、中東で好まれる赤紫色のスパイス。すっぱい風味が特徴で、レバノン料理などでよく使用されます。
商品名 | 発売年 | 主原料 | 命名の由来 |
---|---|---|---|
ゆかり | 1970年 | 赤しそ | 古今和歌集の「紫の ひともとゆゑに」から。縁を大切にする思いも込めて |
かおり | 1984年 | 青じそ | 青じその爽やかな「香り」が特徴であることから |
あかり | 2010年 | たらこ | 福岡の惣菜店「あかり」から。家庭の「灯り」の意味も込めて |
うめこ | 2020年 | 梅 | 演歌歌手のイメージで命名 |
ひろし | 2021年 | 広島菜 | 広島菜の「ひろ」から。当初は「ひろこ」の予定だった |
かつお | 2022年 | 本枯節 | 素材へのこだわりを表現するためシンプルに命名 |
鮭ひろし | 2023年 | 広島菜・鮭 | 「ひろし」の派生商品として開発 |
しげき | 2024年 | 大根葉・京菜・わさび葉 | わさびの刺激的な味わいをイメージ |
年 | 出来事 | 意義 |
---|---|---|
1960年 | 「ゆかり」商標を中埜酢店から借用 | 商品名の使用権を確保 |
1970年 | 「ゆかり」販売開始 | 画期的な植物性ふりかけの誕生 |
1978年頃 | 売上が軌道に乗る | 学校給食採用がきっかけで人気に |
1988年 | 独自品種の開発開始 | 品質向上への本格的な取り組み |
1999年 | 新品種「豊香」完成 ミツカンから商標権譲渡 |
原料の安定供給体制確立 商標権の完全取得 |
2014年 | ペンスタイル商品発売 | 新しい使用シーンの提案 |