紅葉狩りはなぜ『狩り』と付いているのか
秋の風物詩ともいえる「紅葉狩り」。赤と黄色に色づく葉っぱを愛でるひと時は、とても風流なものです。ただ、なぜ『狩り』と付いているのか?
本来、「狩り」とは動物を仕留め捕まえる行為を指す言葉です。しかし、時代と共に対象は拡大。動物だけでなく、果物などの収穫を表す言葉としても使われるようになりました。「みかん狩り」や「リンゴ狩り」など果物の収穫がいい例です。
しかし、ご存じの通り、紅葉狩りは果物狩りと違って実際に紅葉を取ったりはしません。あくまでも、色鮮やかな紅葉を目で見て楽しむものです。実は、紅葉「狩り」という名前が付いた理由には様々な説があるようです。
【諸説1】平安時代の貴族が「狩り」に例えた説
まず挙げられるのが、平安時代の貴族たちが紅葉を鑑賞しに行くことを「狩り」に例えたのがはじまりという説。
平安時代において紅葉を鑑賞しに行くことはそこまで楽なことではなかったようです。屋敷のまわりには桜など華やかな木々が植えられていたそうですが、紅葉は山へ足を運ばなければ見ることはできなかったとされています。
とはいえ、平安時代の貴族において無暗に歩くことは下品な行為だったそうです。紅葉を見に行くためだけに山を登るのは以ての外だったことでしょう。そこで紅葉を見に行きたかった貴族たちは紅葉鑑賞を『狩り』に見立てて、カモフラージュしていたという説です。優雅な暮らしをしていた一方で、貴族たちも気苦労が多かったようですね。
【諸説2】本当に紅葉を狩っていたから
上記の説の続きのようなものですが、平安の貴族たちは紅葉を求めて山に出かけた後、本当に紅葉の枝を折って手に取り鑑賞していたとされています。つまり本当に紅葉を「狩っていた」のです。こうした習慣があったことから「紅葉狩り」という言葉が生まれたとも考えられています。
昔はどうあれ現代で同じことをしたらマナー違反。他の方や紅葉の管理者に怒られてしまうので絶対に止めましょう。
【諸説3】別所温泉の「鬼女紅葉の伝説」
平安貴族たちに由来する説以外にも、紅葉狩りに関する話は存在します。たとえば、長野県・別所温泉に伝わる鬼女紅葉の伝説が紅葉狩りの由来とする話。
平安時代、美しい女性・紅葉(もみじ)は京で源経基(みなもとのつねもと)に愛されますが、正妻の病の原因とされて追放されます。失意の紅葉は村を荒らし、「鬼女」と呼ばれるようになりました。これを受けて朝廷は平維茂(たいらのこれもち)に討伐を命じ、維茂は神剣で紅葉を討ち取ります。紅葉狩りはこの伝説が由来となっている、という説もあるそうです。そう思うと何だか悲しい気分になりますね。
紅葉狩りをするときに今回の雑学を披露してみよう
紅葉「狩り」と呼ばれる理由は諸説ありますが、有力なのは平安時代の貴族たちが紅葉鑑賞を狩りに見立てたという説。他にも平安時代の鬼女紅葉伝説が由来となっているという説もあります。いずれにせよ、紅葉狩りと呼ばれるようになったのは平安時代の出来事がキッカケみたいです。
今回の雑学を紅葉狩りに出かけたときに披露してみてください。きっと紅葉狩りがさらに楽しいものになりますよ。