シルクロードはどこからどこまで?
みなさんは「シルクロード」という単語を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?しかし、具体的にどこからどこまでの道のことなのか答えられる方は少ないはず。
そこで今回はシルクロードに関する面白い雑学をお届け。最後までお読みいただくと、歴史についての見識が深まるはずです。
そもそもシルクロードとは
まずは、シルクロードとは何かについておさらいしましょう。シルクロードは、紀元前2世紀から15世紀半ばにかけて活用されていたユーラシア大陸を東西に横断する交易路のことです。その全長は約6,400キロメートル以上に及ぶといわれており、経済や文化、政治、宗教の交流において重要な役割を果たしたとされています。
「シルクロード」と呼ばれるようになったのは19世紀のことです。ドイツの地理学者リヒトホーフェンが、中国から輸出された絹に注目。交易路全体を「シルク(絹)ロード(道)」と名付けました。その後、弟子であるスウェーデン人地理学者ヘディンが執筆した本を通じて、「シルクロード」という名前が世界中に広まったのです。
実はシルクロードの定義は研究者によって様々。一般的に言われているのは中国の長安(現在の省都西安市)を出発。その後、西の起点であるローマに至るまでのルートをシルクロードと呼んでいるようです。
西域南道
ここからはシルクロードの主要な道について解説します。まず挙げられるのが、西域南道。タクラマカン砂漠の南側を巡り、天山山脈の南を通ってカシュガルへと向かうルートです。西域南道は、三蔵法師がインドから帰国する際に使ったとも、マルコ・ポーロが元を目指す際に通ったとも言われています。
天山南路
新疆(新疆ウイグル自治区の旧称)を南北に分けるように走るのが天山南路。天山山脈の南側のふもとを通り、カシュガルからパミール高原へと続くルートです。今度は、三蔵法師がインドへ旅立つ際に通った道です。仏教文化が根付いたトルファンやクチャといった町があり、古くから栄えていました。紀元前では隊商が行き交う交易路として利用され、多くの物資や文化がこの道を通じて運ばれたとされています。
天山北路
天山山脈の北側を通る天山北路。中国の都市「敦煌」から北へ進み、ハミまたはトルファンで天山南路と分岐してウルムチを経由。天山山脈の北側のふもとを通り、イリ川流域を抜けて最終的にスイアブ(チュー川河畔にあったオアシス都市)に至ります。
砂漠を通る他のルートと比べて、水や食料の調達がしやすく、比較的移動が容易な道として知られています。
この機会にシルクロードについて学んでみよう
シルクロードは定義が明確になっておらず出典や国によって起点は異なることもありますが、基本的には中国の長安からローマまでの交易路を指すことが多いです。
今回の雑学をキッカケにシルクロードについて理解を深めてみてください。
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