バンザイしている自由の女神はスペインにいた!
アメリカ合衆国・ニューヨークのリバティ島に立つのは、国の象徴の1つでもある「自由の女神」像です。しかし実は、自由の女神像がアメリカ以外の世界各地でも見られることはご存じでしょうか?
中でも特に変わったポーズをしているのは、スペインのカダケスというところに設置されている自由の女神です。
通常なら、右手に自由と希望を意味する松明、左手には独立宣言の銘板を持っているのが定番なのですが、カダケスの自由の女神は両手に松明を持ち、天に向かって高々と掲げています。それはまるで、日本人が見れば「バンザイ」のポーズ!
この地にはかつて有名な画家であるサルバドール・ダリが住んでいて、バンザイポーズの自由の女神はダリが描いたデザインを元に、1995年に制作されたと言われています。
しかし、なぜダリがバンザイをした自由の女神を描いたのか、その理由は分かっていません。ダリは現実の先にある世界観を描くシュールレアリスム(超現実主義)の代表的画家であり、非凡な人でもあったため、意図を正確に読み解くのは難しそうです。
自由の女神が誕生した歴史
そもそも、ニューヨークのリバティ島にある自由の女神像が造られた国は、意外にもアメリカではなく、フランスです。自由の女神はどのようにして誕生したのかもご紹介しましょう。
フランスで制作されてからアメリカへ
自由の女神像は、アメリカ合衆国の独立100周年(1876年)を記念してフランス国民からの寄付でフランスで造られ、1886年にアメリカ合衆国に贈られました。制作を担った中心人物として有名なのは、彫刻家のフレデリック・バルトルディです。
ウジェーヌ・ドラクロワ作の有名な絵画「民衆を導く自由の女神」がデザインに大きな影響を与えたと言われています。また、彫刻家フレデリック・バルトルディは、女神像の顔のモデルとして自身の母親の顔を参考にしたと伝えられています。
また、バルトルディだけでなく、エッフェル塔を造ったギュスターヴ・エッフェルも、自由の女神像の構造設計に携わっています。
こうしてフランスで造られた自由の女神は、細かなパーツに分解され、船に乗ってアメリカまでやって来たのです。
船旅を終えた人々を出迎える灯台としての役割
アメリカに到着してからは、20世紀の初め頃まで灯台としての役割も担い、航海を終えた船と船員、そして移民たちを導く存在となりました。
7つの大陸と7つの海を意味する冠をかぶり、足元には抑圧・弾圧からの解放と平等を象徴する壊れた鎖と足かせ、そして、自由に向けて1歩を踏み出している女神の姿は、見る人を感嘆させ、勇気づけるものだったのではないでしょうか。
現在は灯台としての役目は終えたものの、世界遺産に登録され、ニューヨークを訪れた多くの観光客にとって必見のスポットとなっています。
自由の女神は日本にも存在する
世界最大の自由の女神像はアメリカにあるものですが、ニューヨークまで見に行くことは簡単ではありません。そんな人におすすめなのは、日本に存在する自由の女神のレプリカ像です。
レプリカ像は大小さまざまなものが日本各地にありますが、特に有名なのは東京のお台場海浜公園と、青森県上北郡のおいらせ町にあるものです。
お台場の自由の女神は本場ニューヨークの像の7分の1、おいらせ町の自由の女神に至っては4分の1のサイズとなかなかの大きさで造られており、迫力もあります。
ニューヨークのものとはひと味違う、日本でしか見られない自由の女神を見に行ってみるのも良いかもしれませんね。
不思議なポーズをしている意味を想像してみよう
バンザイをしているように見える自由の女神像のレプリカは、スペインにありました。制作はダリのデザインを元にしているなど、アートとしても興味深い作品です。
もしも実物を目にする機会があれば、両手に松明を掲げる意味を自分なりに想像してみてはいかがでしょうか?