成人式の歴史は意外と新しい?由来を辿ると見えてくる昔と今の違い

雑学

成人式はなぜ20歳?もともとはもっと若かった!

「今年は成人式か~」なんて言いながらSNSをスクロールしていると、艶やかな振袖姿の投稿がたくさん流れてきますよね。でも、実は昔の日本では、成人になる年齢はもっと早かったんです。

例えば平安時代、今でいう中学生くらいの年齢で成人の儀式が行われていました。当時の人々からすれば、20歳での成人式なんて「随分と遅いねぇ」なんて言われそうです。むしろ、12歳から16歳くらいが「大人の仲間入り」をする年頃だったんですよ。

驚きの事実!成人式のルーツは中国にあった

日本の成人儀礼の歴史は意外なところからスタートしています。その起源は、なんと紀元前200年頃の中国で行われていた「冠礼(かんれい ※1)」という儀式にまで遡るんです。

この風習が遣隣使などによって日本に伝わり、奈良時代以降、独自の発展を遂げていきました。特に面白いのは、身分や性別によって全く異なる儀式が行われていたこと。まるで「成人式の種類図鑑」のような多様さがあったんです。

※1:冠礼(かんれい)とは、成人した男子に冠をかぶせる儀式。これによって一人前として認められ、結婚も許されるようになりました。

身分で異なった!古代日本の成人儀礼

当時の日本では、公家、武家、庶民でそれぞれ異なる成人の儀式が行われていました。とりわけ印象的なのが、公家の男性が行った「元服(※2)」という儀式です。

髪型を変え、大人の装いに改め、新しい名前をもらう――。今でいえば、制服から私服に着替えるような感覚だったのかもしれません。ただし、現代とは違って、この儀式には厳格な決まり事がびっしり。例えば、理髪の役、加冠の役など、それぞれの役割が細かく決められていたんです。

公家の女性の場合は「裳着(もぎ ※3)」という儀式が行われました。こちらも男性に負けないくらい華やかで格式高い儀式だったそうです。

※2:元服(げんぷく)とは、幼児の髪型から大人の髪型に改め、冠をかぶる儀式。「元」は「はじめ」、「服」は「装い」を意味します。
※3:裳着(もぎ)とは、女性が腰から下に着る裳(も)という衣服を初めて身につける儀式。結婚が決まった時期に行われることが多かったようです。はい、後半部分を出力させていただきます。

公家の女性限定!知られざる髪型儀式

公家の女性たちには、もう一つ興味深い儀式がありました。「笄礼(けいれい ※4)」という髪型を変える儀式です。今でこそ「成人式の前に美容院」は当たり前ですが、その原点がここにあったなんて、意外と知られていないかもしれませんね。

ちなみに、この儀式では結い上げられた髪に「笄(こうがい)」という簪を差すのですが、なんと夫となる人が髪を結うことも。今で言えば、結婚式でのファーストダンスのような、ロマンチックな意味合いがあったようです。

※4:笄礼(けいれい)は、髪を結い上げて笄という簪を差す儀式。成人と結婚の意味を兼ねていました。

庶民の成人儀礼が面白い!地域ごとの独自ルール

上流階級の儀式が華やかだった一方で、庶民たちはもっと実践的な「大人の基準」を持っていました。例えば「一人で米俵を運べるようになったら一人前」「鹿を狩れるようになったら成人」など、地域によって様々な基準があったんです。

特に面白いのが「褌祝(ふんどしいわい ※5)」という儀式。13歳前後の男の子が、親戚の女性から褌をもらうという風習でした。今で言えば「お年玉」のような感覚だったのかもしれません。当時の人々の会話を想像すると「褌もらえたの?いいなぁ」なんて、子どもたちが憧れを語り合っていた可能性も?

※5:褌祝(ふんどしいわい)は、一人前になった証として褌を贈る儀式。各地で「へこいわい」とも呼ばれていました。

武家社会で変わった!成人儀礼の新たな意味

平安時代が終わり、武家社会が台頭してくると、成人儀礼にも新しい意味が加わっていきます。特に注目なのが「烏帽子親(えぼしおや ※6)」という存在。これは単なる儀式の立会人ではなく、重要な人間関係を築く機会でもありました。

例えば、徳川家康が元服した時の話は有名です。今川義元から一字をもらって「元信」と名乗ったのですが、これは主従関係を結ぶ重要な儀式でもあったんです。後に家康と改名したのも、今川家との決別を意味する…なんて、歴史ドラマのような展開が実際にあったんですよ。

※6:烏帽子親(えぼしおや)は、元服の際に烏帽子をかぶせる役目の人。単なる儀式の役割以上に、重要な人間関係を築く意味がありました。

明治時代の衝撃!欧米人が見た日本の成人儀礼

幕末から明治時代に来日した外国人たちは、日本の成人儀礼をどう見ていたのでしょうか。特に女性の「歯黒め(お歯黒 ※7)」の習慣には驚きの声が上がったそうです。

実はこの反応を受けて、明治政府は大きな決断をします。明治3年、華族の歯黒めと引き眉(ひきまゆ ※8)を禁止。さらに明治6年には天皇と皇后も歯黒めをやめることになったんです。「もはや時代に合わない」という判断だったのでしょう。

※7:お歯黒(おはぐろ)とは、歯を黒く染める習慣。鉄漿(かね)という染料を使用しました。
※8:引き眉(ひきまゆ)は、眉を剃り落として、上方に墨で描き直す化粧法。

現代の成人式はこうして生まれた!蕨市の意外な物語

今のような成人式のスタイルは、実は戦後になってから始まったんです。1946年11月22日、埼玉県の蕨町(現在の蕨市 わらびし)で行われた「青年祭」がきっかけでした。

当時の様子を想像してみてください。戦後の混乱期、人々は希望を求めていました。そんな中、「若者たちに夢を」という思いから始まったのが今の成人式。面白いことに、最初の参加者たちは男性は国民服、女性はもんぺ姿だったそうです。今では想像もつかないですよね。

実は新しかった!振袖の成人式文化

「成人式=振袖」というイメージは、実は昭和30年代に作られた文化なんです。戦後、着物業界が復興策として成人式に目をつけたのがきっかけ。当時の百貨店が中心となって広めていったそうです。

今では約2800億円という和装市場の中で、成人式の振袖関連が700億円程度を占めているとか。「伝統」と思われているものの中に、意外と新しい文化が隠れているんですね。

実はユニーク?地域色豊かな現代の儀式

全国各地の成人式を見てみると、その土地ならではの面白い特徴が見つかります。例えば、沖縄県石垣市白保では、新成人が公民館に村人を集めて踊りを披露する伝統が今でも続いているんです。

また、豪雪地帯では1月の成人式を避けて、8月のお盆の時期に開催する地域も。「振袖が雪で汚れちゃう」という実用的な理由からなんですが、これも地域の知恵と言えますよね。

面白いのは、「成人式をテーマパークで開催」という自治体も。千葉県浦安市の東京ディズニーリゾートでの成人式は特に有名です。この話を米ディズニー社に持ちかけた時、「なぜ20歳のお祝いをディズニーランドでするの?」と不思議がられたそう。成人式という文化が、いかに日本独自のものかを物語るエピソードですね。

こうして見ると、成人式は時代とともに形を変えながら、私たちの人生の節目を彩り続けてきた文化だということがわかります。あなたも誰かに「実は成人式って…」と話を始めてみませんか?きっと、相手も興味深く聞いてくれるはずです。

時代による成人儀礼の変遷
時代 主な特徴 成人の目安年齢
古代中国 冠礼(成人儀礼の源流) 15~20歳
奈良・平安時代 元服・裳着の確立 12~16歳
鎌倉・室町時代 武家社会での烏帽子親制度 11~17歳
江戸時代 庶民への儀式の普及 13~17歳
明治時代 伝統的儀式の近代化 20歳(法制化)
現代(1946年~) 現在の成人式スタイル確立 20歳(2022年から18歳も)
身分による成人儀礼の違い
対象 儀式名 特徴的な要素
公家(男性) 元服 髪型変更、改名、冠授与
公家(女性) 裳着・笄礼 裳の着用、髪型変更、化粧の変化
武家(男性) 元服・烏帽子儀式 主従関係の確立、名字の一字拝領
庶民(男性) 褌祝・月代 褌の贈呈、髪型の変更
庶民(地域性) 独自の通過儀礼 米俵運び、狩猟技術など
現代 成人式 振袖着用、集団での祝賀

こんな記事も読まれています

クリスマスリースの意味と由来とは?古代ローマから続く歴史と飾る理由

『お好み焼き』と『広島焼き』の違いは何?知るともっと美味しくなる秘話